「ゆきゆきて、神軍」原 一男


ゆきゆきて、神軍 [DVD]


恐る恐る観たのだが、思っていたより全然マトモな印象の映画であった。もちろん映像中の奥崎謙三という人が常軌を逸しているという事は間違いが無く、その言動や思想・信念のイキまくった状態を楽しむことも可能だし、言動の無茶苦茶さや、妙な冷静さや、短絡や思い込みや、すごいクルマのキッチュさなんかを、笑ったり面白がったりすることももちろん可能だろうし、戦争が如何なるものであったか?死の淵にある人間の集団が、ニューギニアのジャングルでどのような行為を為したのか?について慄然とする事も、もちろん可能だが、ただ、やはり最も印象に残るのは、このような人物が、現実にカメラの前で、あのような行動を取っているところを収めた映像を見るとき、それは実にあたりまえの、なんでもない白けたものとして現われるんだなあという事だったりする。特に突然、暴力が発動するシーンなんか、実にあっけらかんとしていて、滑稽感がすごい。最初の暴力シーンではなんとスローモーションが使用されているが、これが逆になんでも無さを引き立たせて、結構趣き深い。中盤からのロードムービー風の展開なんか、なんとか珍道中とか云いたくなる雰囲気があり、ほのかにユーモラスでさえある。あとやっぱりああいう、人と人が何か激しく言い合っている状態っていうのが、観て聴いているとなんともぼやーんと麻痺状態を齎してくれて、内容とかどうでもよくなって来てしまうのである。で、暴力沙汰になると、周りがとめるのだが、その周囲の止め方・割ってはいる仕草が、ああ人間皆、こうだろうなーと思わせる、実になんとも落ち着いた、白けた感じであったりするのだ。


大体、奥崎謙三という人は「異常」な人物か?と言ったら、そう見えることもあるが、そう見えないことの方が多いかもしれない。大体ヘンな人は他にも出てくるのだが、その「ヘン」というのは、実に判りにくい。っていうか、何があったのか話してくれ。真実を知りたい。という動機自体にまったく「異常」さなんか無いのだし、その後「責任も取らずノウノウと生きてきやがって」というのも、確かにそういう独善の異常さはあるが、でもそういう論理的に判断できる箇所とは違うところで「異常さ」とか「共有できなさ」とか「やばさ」というのは感じられる気がする。(奥崎は執念深いのだが、奇妙にそうでもないような瞬間がある。相手を屈服させ「一仕事」終ると、ちょっと満足気な顔にすらなる。これが、ある意味【プロの/仕事としての活動】という印象を強める)たぶん、現実というのは道行く人、すれ違う人、自分を含め全員、普通じゃないのが正解だと思う。何かを思い込んで、これ!と信念を固めたら、多かれ少なかれ、ああなる。というか、既に実は皆そうなんで、何もこれほどアグレッシブに行動せずとも、ちょっとした事で異常さは簡単に露呈するので、そういう意味で、驚くような、見たことも無いような異様さはここには無いのだ。。映像中に現われる白けたような普通さと異常さの、区分けできない曖昧さの感じを、観終わって忘れてしまわないよう、頭の中で反芻してしまう。



なお全編に映りこんでる1982年の町並みを見つめていて、ある種の懐かしさをおぼえる。あと、もう掛け値なしに素晴らしいなーと感じさせられたのが、奥崎謙三の奥さんで、もう最高の、究極の伴侶。という感じで、この奥さんがいなければ、この活動家もあのようには存在し得なかったであろう。。