何事もなくどこまでも続く日


午前11:50くらいに、オフィスで普通に仕事してたら、再び、軽く貧血がやって来た。日曜日に来たヤツより幾分軽く、さほど長引きそうも無い感じだが、やはり前回と同様、だるい疲れのような甘ったるい感覚が胸を起点に沸き始め、やがて薄い膜のような麻痺感覚が、両腕や全身にゆっくりと広がって行く。指先の感覚が薄れ、軽く痙攣している。呼吸も重くなり、軽く息苦しく、全ての動きが緩慢になっていく。


前回のこともあるので、取り乱さず、落ち着け落ち着けと思いつつ、感覚が戻って行くのを待つと、やがて確かさが戻ってくる。手のひらに冷たい汗が滲んでいるのを微かに感じる。歩けそうなので、そのままゆっくりと立ち上がり、携帯も何も置きっぱなしにして、オフィスをゆっくりと出て、外気の冷たさに満ちた廊下に出た。空の青さが見える。素晴らしい天気。灰皿脇のベンチにしばらく座り、調子が元に戻ったので、またゆっくりとデスクに戻った。時計を見たら11:55だった。。


その後、昼休みを過ぎて午後になって、先月より病院で療養中であったある方が、12:00にご逝去されたとの連絡が入る。…そのニュース自体は勿論ショックであったのだが、その後ずいぶんしてから、自分の体との偶然の符丁に思い当たり、さらになんとも言えない気持ちになる。


僕は基本的に現実の世界とそうでない世界。とか、霊だとか、そういうのはまったく考える余地を自分の中に置いていない人で、(ましてやテレビやなんかのメディアの中でやってる下らない何かとかも早く滅んでほしいと思っている人で)、つまりそういう霊やらなんやらををまったく信じないのだが、しかし、何らかの偶然が、何かをもたらしたり、考えに影響を与えたりする事については「そりゃそういう事もあるでしょ?いくらでも!」と思う。何か、形にも意味にもなっていないような、何らかの力が、どこかから送信されたのでは?…などと思ったりして、それは軽い呼びかけ、というか挨拶、のようでもあれば、伝文、のようでもあるが、いずれにせよそういうイメージがとりあえず頭に思い浮かんだので、とりあえず受容するっていう事自体、別に自分に禁じようとは思わない。でもまあ、その中に何が書かれていて、それに僕がどう返答するのか?という事やなんかは、あんまり安いハナシにしない為にも、すこし自分の中で大事に寝かせたい。現実は物語ではないし、生きてる方は、遊びで生きるのではないのだ。


あと、まあ、色々と思いが巡るのだが…この世から居なくなってしまうと、その後はまさに何も無い。何も無いというのは、何でも在る。というのに近い。つまり、世界は、何も変わらない。ある瞬間を境に、その人が生きていた時間ともう存在しない時間と、くっきりふたつにわかれている筈なのだけれど、現実は、まったく何事もなく、どこまでも続く、そういうなんでも無さに満ちている。


あと、この世から立ち去るときというのは、大抵の場合、その前に全員にご挨拶とかそういう事ができないのだなあと改めて思った。…そんなのはあたりまえの事で、こういう事を書いている自分の愚かしさを恥じつつも書き続けるが、想像だけどやはり最後に「ではこれで失礼します。どうも」とか云いつつ、今まで交わった事のある、とてつもなく沢山の、掛け替えの無い人々一人一人に、最後の挨拶をしてから、立ち去りたかったのではないか?などと思い、なんというか気の毒な思いが込み上げてきて辛い気持ちだ。