「I'm a loser baby so why don't you kill me ?」


僕は10代半ばより、極めて真面目にロックミュージックの過去を聴き進んでいったような人間である。(最後まで真面目にやり通した訳ではないけど…)渋谷陽一のロックベストセレクションに紹介されているアルバムを、端からひとつずつ聴いてはチェックして塗りつぶしていくような人間であった。こういう体験の仕方は僕が何かを知ろうとする際のデフォルト仕様ともいうべきスタイルであり、まず「ざっくりと抑える」欲望をそのままに、とりあえず薄く浅く触手を伸ばすのだ。それが一通りすんだ後全体をプレイバックして、ひとつひとつの中からもう一度体験したいものだけピックアップしていって、後は好きなように食う。まあ、あんまりダイナミックな性格じゃないんです。ピンポイントで探り当てるカンも鋭くないし。


「全体」とか「ジャンル」とか「何がロックか?」とか、そういうのとは何か?「あえて、だまされた気になってノってみて、熱狂して楽しませてもらうための、とりあえずの外枠なんだろうなあと」は思うし「全体」とか「ジャンル」とか「何がロックか?」いう概念に、過剰に意味を見出してしまって拘りすぎる事はまるで面白くないだろうとも思う。


「全体」とか「ジャンル」とか「何がロックか?」とかに拘るとろくな事がない。…特にロックミュージックの場合「もうオレここまでいい」と言うのはとても簡単で、その場合、そのジャンルはオレを表象してくれる便利なものに変わり果てており、実際「オレ70年代だけでいい」とか「オレニューウェイブ以外いらない」とか言って、後は饒舌に居酒屋でロックについて語りはじめる。(あとはブログにごちゃごちゃ書き出すとか?…それやばいオレじゃん。まあ、僕は自己反省すると、すごく音楽を"ダシ"にしてるトコロがあって、その辺は罪深いかも。ってか方法として下らないかもしれない。その自覚はある。。でもまあ、下らないモノはいつか淘汰されるんで、とりあえず僕はともかく放置で良いのですが、すごい良いなあと思える普通の人の音楽ブログって多いと思う。なんて許容量の広い人だろう!って感動させられたり、ああ自分超勉強不足だって痛感させられたりする。そういうのってすごい拘り無く、いろんな人が居るなあ!世界は捨てたもんじゃないなあ!と感じさせてくれるので好きだ)あるいは、下手に楽器なんかに手を出してバンドの経験なんかがあると、自分でも驚くほど許容範囲が狭くなって。その癖これは良い!と思うと、異様に細部まで聞き耳を立てて、そこにしがみつく様な感じになったり…。あるいは、内容的にはどう聴いても面白くないのに、それが器楽的にはとても良いからっつんで、聴き倒したり。。


…そういう偏りもまあ、すごく楽しい事ではあるのだが、やはり閉塞的な、自分というものを空しくしていないままの聴き方であろう。…ロックミュージックなら、何よりもまず一曲の・アルバム一枚の魅力、それひとつが含有している豊かさをこそ味わいたい訳であるから、そこが重要視されているのは間違いないのだ。だから、それを念頭に、すごいフラットな気持ちで、何でも聴くようにする。もっともっと貪欲に何でも聴きたい聴きたいと思って聴き続ける訳だ。しかし、ある時期、はておかしいな?と思うのだ。


やはり、そのような味わいを感じ続けていくうちに、何かしらの手触り感、というか、そういうものが浮かび上がってくるんじゃないのかなあ?とも薄っすら思って、最初から期待してるところがあるのである。「全体」とまでは行かなくても、自分の中でしっくり来る様な確かな手触り感がやって来るのを待っているのだ。しかし、それは終に訪れないのである。


90年代半ばくらいだったか、なんかの雑誌に「僕はずっと音楽を聴き続けていって(たくさん体験する事で)結果的に【良い趣味】のリスナーになりたい、そう在りたいと思い続けてきたのだけれど、今はもう、そう思うこと自体が間違ってるような気がする」と書かれていて深く共感した。ときあたかもイギリスではブリットポップに子供たちが群がる傍らマンチェスター、レイヴの花が能天気に咲いており、アメリカではヒップホップがあぶく銭とチンピラの自意識を誇大させ東西抗争は泥沼化の一途を辿り、産声を上げたばかりのトリップホップエレクトロニカソニックブリストルの曇天の空を震わつつ不気味に増殖をはじめており、極東の島国では小室サウンドがフルテンで鳴り響き各都道府県が一斉無制限・総パチンコ屋状態という、もう何聴いてれば褒められるんだか全然わかんない。少なくともみんな自分の村の盆踊りに精一杯ですね60年代も70、80年代もロックも何もあんま関係ないのね。ていう感じが濃厚であったように思う。


それから更に10年余り…「ロックとかの音楽に詳しい人」になることすらもう誰にも出来ないのが、今の現実ではなかろうか。「ロックとかジャズとかの音楽に詳しい人」って、それってどんな人よ?そもそもロックとかの音楽って何系??ってなものだろう。もはや音楽というジャンルは、頂点を持つタワーのかたちをしていない。言葉で書くのは簡単だし昔からそう言われて来たのだろうけど今、やっと現実にそれが感じられるようにはなったのかも。


というか、90年代半ば以降、音楽をそれなりに連続的に聴こうとするのであれば、なるべく分裂的で居る事だけが重要だったのか。そうかもしれないなあ。バブルが弾けたのは随分前だけど、末端の下々の世界が寒くなっていったのはそれから何年も先のことで、ゆっくりと真綿で首が絞まるように、世界が窮屈になって来た訳で、今はもう、自分の身を守り続ける事だけが重要で精一杯で…。そんな中での連続体験で、途絶えがちなパルスを可能な範囲で受信してるような、そのパルスは、何の意味も込められていないのだけれど、ただ「存在」を返してくれてはいるのだとしても…。