Some Girls Give Me…


人体を描くのであれば、枠内の向こうに空間が広がっていてその中に実在の誰かが居るかように描きつつ、しかしどうせなら、描かれている「投げ出された足」から受ける力の方角が、近接する画面のフレームを蹴破るかの如くプレッシャーを与えるようであってほしいし、不安定なまま重心の掛かるように腰が描かれているなら、そこから生まれてくる重さが、そのまま画面を微かに陥没させるかのようであってもほしい訳だ。


衣服を描くのであれば、人体が孕んでしまいそうな意味を隠したり強調したり、首とか腕とか下半身が、包まれた何かから突き出ているとか、あるいはそこに人が居て、体があるのだけれど、ある部分は衣服であって、その境目がはっきりとはみえないようなものとして、…ほとんど体であるかのように見えるときもあれば、ほとんど衣服であるかのように見えるときもあるようであってほしいし、なだらかさであるとか、纏めて圧縮した感じであるとか、下方にふわっと広がる感じであるとか、そういう様々なイメージであると同時に、からだから独立して浮上することもなく、むしろからだと絶えず関係を結び直し続けているような何かのようであってもほしい訳だ。


…ところで、ここ最近、溝口健二の映画をDVDで立続けに観ているのだが、これらの映画が感じさせてくれる、とても原始的な喜びの感じは素晴らしい。今のところ僕はとにかく、女性が画面に映っていて、それが動いているのを観るという事だけの、単純な喜びを貪っている部分が多いのだと思う。溝口健二の映画をこれだけ沢山観たのは始めてなのだが、何が嬉しいって、女性が美しいのもさることながら、ぶん殴られたり引っ叩かれたり、複数の男たちに囲まれて羽交い絞めにされて、そのまま横抱きに抱えて運ばれたりという、ちょっと驚く程、溝口作品の女性達は暴力に晒されて酷い目に会うのだ。かと思えば、白粉を塗りたくられ、すごい着物のカタマリと化して横移動に追いかけられつつ小走りに走ったり、中腰で屈んで足袋に手を掛けたりしているのである。ゆるゆると、いつまでも続く官能…。


…ところで先日、今月末日に閉店される青山のナディッフに行った。そしたら輸入書籍を買うとくじ引きして出た数字の分だけ割り引くというサービスをやっていた。20%〜100%までのスピードくじである。買い物して引いてみたら3を引いた。30%引きである。これはでかい。妻に3だぜ!すごくない?と言ったら、「20%〜100%までのくじなんだから、最低でも50%より高めを引き当てるべきでしょ?」と言われて、確かにそうであったかも知れないと思い直し、少し沈んだ。