うぐいす、ジャスミン、溝口

森の中を歩いていて、「うぐいすが鳴いてる」と言われて、それで頭の中にRCサクセションの「うぐいす」が再生されてしばらく止まらなくなる。「うぐいす」の詩ではとくに何が云われているわけでもなくて言葉の連なりの気持ちよさと春の陽だまりのような快適さだけがある。

また「ジャスミンの香りがする」と言われて、それで頭の中にRCサクセションの「横浜ベイ」が再生されてしばらく止まらなくなる。ジャスミンのお茶、こぼしてしまった。それはこの季節に香るジャスミンの濃厚さとは少し違う。意味以前の、ジャスミンというカタカナの響きだけで繋がっている。

 茂みの中を二羽のコジュケイが、ゴソゴソと動き回っているのを発見したとき、それで頭の中にRCサクセションの「胸ヤケ」が再生されて、しかしあの曲、あの当時であれは凄いな、主催者に文句を言いたかったけど、と歌いだされて、コーラを飲みたい、今飲めたら、どんなにいいだろうと歌われて、お前を思い出さずにはいられない、と歌われる。「お前」は、人間ではなくて動物だ、枯葉に身をうずめて、野うさぎかコジュケイ、もしかしてリスを狙っているのだから。

帰宅後、溝口健二雨月物語」をDVDで。ものすごく久しぶりに観た。怪奇と人生訓が織り交ざった日本の典型的怪談を、余裕さえ感じされる手つきで、徹頭徹尾正攻法の自分手法で自分の作品として組み上げた、非の打ち所無しの完成品、という感じだ。人物たちの行動や出来事を受け止めた瞬間が、カメラの移動ときっちり連動して、あたかもそれが最初からそうであったかのように、つまりあらかじめの段取りや計画ではなく、ただ自然にそうなったことがそのまま映し出されているように感じられる、おそろしく綿密で周到な計算がなされているはずが、なんだか信じられない、目をこらしてもそうは見えなくて、なんだか不思議なものを見ている、といった感情を呼び起こすのだ。