以心伝心


わりとハイプレッシャーな時間から開放されて、自分の内部がからっぽになってしまったような深い疲労感を感じながら電車のドアの脇に立ち、ぼやーっと流れていく窓の外の景色を見ていた。夕方で既に6:00を過ぎていたが、まだ空はほの明るい夕暮れで、馴れ馴れしくこころの内側にまで浸透してくるような幼児的で生暖かい甘やかさを夕日の明るさに感じた。ふーっとゆるくため息をついてみると、喉の奥から吐いた息が口内を通って吐き出されていくのを感じる。


帰ってから、誰とも知らぬ人が書いたブログを偶然見つけたので読んでいたら、ある出来事に深く傷ついたという事と、その後家に帰ってきてからとてつもない疲労感に包まれた、という事が書いてあって、そういう他人の文章の、深い深い疲労の質感を伴った文章というのが、これほど安らがせてくれるものかと驚いてしまうくらい、読んでいて癒されたような気持ちになってしまった。書かれてる内容が云々ではなく、あくまでもその疲労の質感というか、色相というか、そういう何かに相当シンクロしてしまった。まあ、これに較べたら僕の疲労なんか全然大したことないなあと思いもしたが。こういう風に、感じた事をこういう風に何の狙いも飾りもなく言葉にできたら素晴らしいなあ、それで、そんな言葉が、今僕が感じたように、こういう風に誰かに何かを生成して、他者とシンクロするのだとすれば、それも素敵な事だよなあと、本気で思った。