朝の礼拝


昔話だが、高校がミッション系の男子校だったので毎朝、礼拝があった。8:30とかにチャペルに集まって、讃美歌を歌って、聖書当番のヤツが壇上に上がり、今日の箇所を数節読む。で、クリスチャンの教師とか牧師とかが、その箇所に纏わる説教をする。説教内容は結構自由で、というかアバウトでいい加減で、読まれた箇所と全く関係ない話をされるケースが半分以上であったように思う。中には見慣れない楽器を持ち出してきて自慢げに演奏する教師までいた。で説教の後、お祈りをして、また賛美歌を歌って、色んな朝のホームルーム的な諸連絡があって、礼拝が終わる。礼拝が始まる時には担任が来てない生徒をチェックするので、その時点で出欠が取られてしまい、間に合わなければ遅刻扱いである。遅刻すると最後列の席に並んで座らされ、上下ジャージの体育科教師が傍らに立っている。ここチャペルですけど!と言いたい感じであった。


同じクラスのK君は、朝の礼拝には5回に3回は遅れてきて、遅れてくると、ちょっとごめんとか言って映画館の席で足をぶつけるような感じで、ごそごそ僕の前を通り抜け、そのまま隣に座るのである。他の連中もそうだが、僕も礼拝開始から間も無く仮眠状態になるので、そうやって起こされると結構迷惑なのである。でも、ういーっすとか挨拶して、で、また寝る。


K君は高校生らしいハイな奴で、しかし背がでかくて、今思えば野球選手の松井みたいな感じの奴であった。タリぃなあやってらんねえよなあ、今日一時間目何?Sティーチャーだっけ?マジタリぃなあ…とか延々話かけてきたり、今日ヤンマガ買った?とか聞いてきたり、坂中!見ろ見ろ!!ほら!今、超・勃起してるからここ見てみ!とか、ウルサクしつこく言うのであった。見ると確かに、K君のブレザーの紺色のスラックスの股間部分に、薄っすらと長いものが浮かび上がっている。それがなんか不自然なほどひょろっと細長いので、えー?うそだろ?これ細くない?とか言ったら、バカ。マジだよ。これ今、超・勃起してるよ。マジだよ。とムキになって言ってたので、まあ実際にズボンから浮き出たらあんなモンかもしれないとも思う。…ってか、そんなの、超どうでもいいので、こっちはまた寝る。


で、そういうのも毎日の事なんで飽きてくると、坂中ぁ、俺今日から真面目に礼拝受けるから。信仰を深めたいんだよね。ええと、あぁ。。そうかぁ。。今日の箇所はマタイかぁ…。よし!!…とか言って、異様に背筋を伸ばして聖書を繰ったりもしているのであった。僕は、うるせえなあこいつバカだなあと思っていた。


高校3年間で、新約聖書をざっと目を通せたというのは、自分にとってはわりと良い事もあった。ミケランジェロピエタとか、遺作とか、ああいうのはけっこうベタに観ていたように思う。ってか普通に感動してた。マリアの愛だなあとか(笑)。あるいはグリューネバルトとか。でも、ドガとかもすごい好きで、あのパステルの乾ききった感じが死ぬほど好きだったような瞬間もあったし、…なんか書いていて今、異様に生々しく思い出されてきてしまったが…。


聖書では色々あるが、まあベタに有名なコリント人の13章の数節は、愛に纏わるキレイな言葉の連なりでなかなか嫌いではなかった。あと度々出てくるぶどう酒だの香油だのというのが、どんなものなのか、主に食欲的探究心から知りたいと思った。あとはワンス・アポン・ア・タイム・イン・アメリカという映画を、僕は中学生の時に観て以来、その映画が死ぬほど好きだったので、その映画内に出てくるソロモンの雅歌を、かなり思い入れ深く読んでいた。…それは男が女の体を細かに、つぶさに見ていって、貴方の目は何々のようだ、貴方の首は何々のようだ…と繰り返していくのだが、そこで、首を例えて「大理石の柱のようだ」とか何とか言うのであるが、その唐突さというか、異様な感じが好きだった。…っていうか何か、気味の悪い感じというか、今考えるとそれほど異様でもないかもしれないが、当時は強く違和感を感じて、でもそれが嫌いではなかった。


他にも足を洗うだとか香油をぶっかけるだとか鞭でしばくとか、手とか足とか、聖書の文句はときに不思議な生々しさを持って聴こえてきて、眠くてしょうがなかった朝のひとときに不思議な打撃を与えたりもしてくれた。