長谷川


長谷川お前は、神様を信じているのだろうか。


キリスト教を信じている?長谷川。クリスチャンの。長谷川はいったい何を信じているんだろうか。


長谷川は、キリスト教を信じているのか?キリスト教を信じるって、言葉がおかしくないか?キリスト教を信じてるのではなくて、神様を信じているのだろう?いや、イエス・キリストを信じているのか?イエスは、神様じゃなくて、神の子だよな。神の子イエスを、信じる。信じているのか?


長谷川は、イエスを信じているのか?イエス・キリスト。その人物の何を信じてるのか。イエスがきっといいヤツに違いないと思っているのか?そいつの言うことに、嘘はないと思ってるのか?もしそうなら、イエスじゃなくて、嘘と本当の、どちらかを信じてるだけなんじゃないのか?いや、そうじゃないのか?あるいはイエスを好きなのか?お前は、イエスのことが好きで、単にそいつのことを考えてばかりで、もうそいつに身も心もあずけているって事か?そいつに賭けてるって事か?


長谷川。お前は何かを信じてるんだな。長谷川。お前はきのう、聖書を読んでいたな。お前は聖書に書かれた事を信じているのか?そこに書かれた事を、真に受けて、それに身も心も溶け込もうとしているのか?聖書は面白いか?聖書には字がいっぱい書かれているよな。聖書の、細かい字と字のあいだから、お前には、何かが立ち上がってくるのが見えるのか?


信じるってどういうこと?俺には、信じるの意味が、わからないよ。信じるっていうのは、信じる努力をするって事だろ?だったら既にもう、信じて無いじゃん。努力してる時点でなんだそりゃって感じだろ。


お前はそれを言うといつもそうやって鼻で笑うだけだな。長谷川。お前は自分が信じていることに、何かよろこびを感じているのか?だったら長谷川。お前はそれじゃあ、信じてるの意味が違ってきやしないのか?お前が胸に手をあてて、それを不安に思わないのか?って事だよ。だってお前は、満足してんだろ?信じてるとか呟きながら、お前は既にそこそこ幸せそうじゃないか。そんなに自足して、それで良いのか?お前の愛しいイエスはそれを見てお怒りにならないのか?はっきりいえば、お前は信仰というものを、喜びを得る材料にしてるだけじゃないか。そうじゃないのか?


長谷川。お前はなおも表情を崩さず、静かに微笑しているだけだな。そう、お前はキリスト者だ。お前はつまり、キリスト者たる自分を信じているのか?お前は、お前自身を熱烈に信じているってことじゃないのか?違うか。自分など如何程のものか、取るに足らない。御心のままに、そう思って祈るだけか。そうなんだな。お前はいつも何も言わず、まるで鏡に写った俺自身の顔のごとく、ただこの俺を見つめてばかりだな。


お前がいて、キリスト教がいて、聖書がいて、神様がいて、イエスがいて。それらすべてが、何もかもが、ひとつにはならないけれども、それをおまえは丸ごと信じようとしているのかもしれないな。それらすべてを、同じようにひとつに考えることのできる日がやってくるのを、信じているのかもしれないな。それが出来たらどんなに良いことか、長谷川、お前はそう思っているのか?どうなんだろうな。俺にはあまり、よくわからないよ。それを思ってるのが本当のところ誰なのかも、よくわからないのだ。