「浮雲」


浮雲 [DVD]


1943年、フランス領仏印においてこの物語の主人公二人は出会う。1945年に日本無条件降伏。戦争の終結。役目が終わって、短い花の命が終わって、それまでの一切が滅びる。信じられてきたものとか賭けられてきたものとか共有してきたものとか、そういうの全てが終わり、全てが死んだ。それが敗戦という事で、だから本当はそこで、私の身も心も砕けて死んで無くなってしまうのが一番良かったのだ理屈の上では。それは、確かなのだ。でも、現に体が生きてる以上、生きなければならず、食べなければならない。現に、金を稼ぐために皆が右往左往しているじゃないか。これからまた、私もあの只中に入り、相も変わらず性懲りも無く何かを信じたり、何かに賭けたりして、やっていく事になったのだ。めでたい話だ。まったく冗談みたいな話だが、それが現実だ。昨日までしかめつらしてた文化人や指導者の皆さんも、手のひら返したように声色を変えて嬉々として何か喋り始めたようだ。もはや怒りも悲しみもなくて、へらへら笑いが込み上げます。


くよくよしたってしょうがないじゃん。前を見て歩こうよ。とか、悲惨な過去とか空虚な現実に拘泥していても幸せにはなれないから、夢や希望について語ったり、良いところを積極的に見ようよ。とか、これから心機一転、新たに作り上げていこうよ。とか、そういう言葉はどれも正論だが、しかしそういう言葉こそが最強・最悪の敵で、そういう言葉をこそ退けたい、退けずにはおれない、という気持ちというのもまた、ある。前向きだろうが後ろ向きだろうが知ったことではない。俺たちは負けて、死んでしまったのだし滅びてしまったのだ。全てが水の泡で、何もかも無駄になった。その事を今、どこまでも自分の問題として噛み締めなくてどうするのだ、という気持ちというのが燻る火種のように奥底にあるのだと…


浮雲」という映画を観て、なんでこんな映画作ったのか?と感じるところがあってもおかしくないと思う。もう完全に終わってる状況下を出発点にして、犬も食わないような腐れ縁の逃避行が2時間掛けて続く。しかしおそらく、この映画がこのように作られている事で含有できた力というのはあるのだ。この、何をモチベーションにして作り上げられたのか俄かには判然とせず、しかし細部の作り込みだけは異様に細かい、こういう作り物だけがもつリアリティというのがある。というか、あの敗戦後の焼け跡から、まさにそこから立ち上がってきた物語である、というとき、もはやこのような現れ方しか考えられないのではないだろうか、とさえ思ったり(もちろんそれは根拠の無い想像でしかないけど。でもそれを想像しなかったら、一体何を想像すれば褒められるだろう?)


林芙美子による小説ではおそらくもっと書き込まれているのかもしれないが、この映画の登場人物であるふたりがなぜこれほどまでに無気力でニヒリスティックでありながら、お互いに離れる事ができないのか、屋久島へ行くという目的も含めて劇中では明確には説明されない。…いや、説明はされるけど、なんか納得できないまま流れてしまう。だから、観る者は二人が際限なく流れ、世界の最果てにまでずるずると流れ去って行くのを、ある種の迫力に充てられつつ為すすべなく見つめるだけしかできない。映画での登場人物ふたりは、寄り添い合っている癖に、徹頭徹尾孤独である。思った事をそのまま、云いたい事として呟き、云われた側はそれを右から左へ受け流す。力無い笑いが浮かぶ。微かな、だるいあきらめと馴れ合いがある。まさに完全に、終わっている。死んでしまった方が良かったのに、生き残って再会してしまったのが悪いのだ。最初から無駄だし間違っているのだ。無駄な言葉の行き交いと愚行が積み重なる。これとは別の、もっと理性的で知的な振る舞いがあるとしたら、最善は最初から死んでいる事だ。この映画の開始の前にまで戻る事だ。そうやって死ぬまでずっと死に体で居続ける事である。しかし、残念ながらそうではなかった。往生際悪く生き続け、くすぶり、二人いつまでも離れず、通じない言葉を何度でも交わし、病気になったり看病したり雨を凌いでふたりで一つの外套を被っている…というだけで、ここには幸せとか不幸とか、そういうのは無い。荒廃だけがある。いや、それすら無い。何かがあるという感じがしない。この二人は、ほとんど何もしない。映画のはじめから終わりまでの間で、並んで歩くという事以外の何をしたのだろうか?途中、盗んだ金で金回りだって良くなるのだ。それでももはや金すら何の役にも立たない。この状況を打開しようとか、いう意志もない。女の病状が悪化すると、男は病人を慮るという役割を不意に与えられたんで、そういう自らの立場に、妙に張り合いすら感じてるようだ。女が死んだら、もっともらしく泣く権利すら行使できるだろう。最後はちょっと楽にさせてもらえて、助けられたってなものだ。


…まあ、高峰秀子の美しさを堪能するなら、やはり本作が一番ですかね!。