戦死ヤアハレ


新たに導入したユーティリティが始めからまともに稼動していない時点で、今日はこれから無茶苦茶大変な事になりそうだと予感された。心の内側に隅々まで満遍なく、深く濃い不安の煙が充満していくのがわかった。これからあとの残作業が全部できないか、やっても無効になるかもしれなくて、そういう状態のままリミットを越えた場合、全体で一体どれほどのダメージが計上される事になるのか?それを考えると、不安や恐怖を通り越して妙な期待感さえ胸の内に沸いた。状況は既に悪化の一途であり、システムもヤバイが、それを触ってる今の自分自身が、立場的に責任主体的に相当ヤバイ。後戻り不可能なその地点に突入している事はもう間違いない。完全にハマッた。もう逃げられない。死ぬより怖いとこに行かなきゃなんない。胸の動悸が高鳴り、緊張が身体を硬直させるのを気付かぬ振りして、無理矢理の勢いで気持ちを奮い立たせて、とにかくもう覚悟決めるしかないと思って、覚醒剤と麻酔を打つみたいに強制的に自己暗示をかけて自分のモードを切替えて、よーしさぁやるかーとか何とか独り言を呟いたりもしながら、ぼんやり途方に暮れるのを避けるためだけに、無意味に参照コマンドを叩く。


しばらくして、ある階層の一箇所で「奥の手」を使うことで、ぐしゃぐしゃになったままの状態をとりあえず無かった事にはできるかもしれないなあ、と気付いた。それで根本的な問題が解決する訳では全然ないのだけれど、ひとまずそれで問題を「今起こっていること」から、ずらして、別の文脈に紛らせてしまう事はできるなあ、と。いわば、問題のすり替えと拡散だ。それをすれば、そのまま、今日は普通に仕事を終えて家に帰れるだろう。その後も、少なくとも数日は、平和で無事な日常が訪れるはずだ。ただし、元々あった既存データがスムーズに流れていない、という問題に対処せずに、それをするのは、言うまでも無くあまりにも危険で、文字通り火に油を注ぐ振る舞いであり、まあ間違いなく、事態は現状より更に悪化する事になる。その後、何週間後か、何ヶ月後かは知らないが、対処されず放置されたままの不具合が膨れ上がって悪化して化膿してそのまま日々が経過した事で更にダメージを広げ、グズグズのドロドロになった状態で一挙に噴き出して露呈したときに、その現場に派遣され、惨状を見て、地獄の復旧および根本原因の調査にあたるのが、後日の自分なのか他の誰かなのかはともかく、その処置作業はたぶん想像を絶するような困難を極めるだろう。もちろん自分は、何時なのかもわからぬ「発覚」するその日が来るまでの間に、自分が関わった状況とトラブルとの因果関係を、決して他人にさとられず、間違っても紐付けられないように、徹底的な(それこそ絶対ミスの許されない)「隠蔽」を、人目に付かないようにしながら全力で行う事になるだろう。


まあ、想像だけにとどめて置くだけの事だ。実際には「奥の手」を使わない。それは確かだ。自分にはそんな度胸はない。自分が所謂「隠蔽」や「捏造」をせず、悪事を為さない理由は、正義や倫理に基づくものでは決してないと思う。完全に隠蔽できる自信があるなら、それを自分が完遂できるという自信があるのであれば、やるかもしれない、とは思う。要するにこれほど禍々しく巨大な「嘘」をつきとおす事のしんどさを想像すると、それだけで気を失いそうになるという事で、そんなヘビーなものを背負うくらいなら、やってしまった事や現状を引き起こした自分の落ち度や浅はかな見積もりの間違いやそれを良しとしている自分のだらしない無能さまでをも、全部オープンで正直ベースに告白した方が全然ラクでいいや、というある意味開き直りな感覚が自分の奥底にあるから、結果的に「隠蔽」や「捏造」をしないだけなのだ。その結果、謝罪とか始末書とかの責務を負う方がよっぽど気が楽だ、という計算がある。


おそらくこの世の中においては、自分のような考え方をする人間が大多数で、でもそういう人間に世の中の大きな仕組みを大胆に変革していくとか、巨大な悪事を為したりするとか、そういうデカイ仕事をするのは絶対できないだろうと思う。本当にデカイ事をする人間は、ある意味「隠蔽」だの「捏造」だのというものを、何の罪悪感も感じず、それが悪事だとすら思わず、ひたすら実践し続けてナンボだくらいに思っているんだろう。自分がうだうだ躊躇する程度のゴマカシなど、事も無げに行うのだろう。そうでもなければ、この複雑怪奇なシステム全容に向かい合いつつ、それら一々一つの品質保証などできる訳がないからだ。そのレベルにまでくると、もうほとんどバクチである。でもそれで、最初からわかってたかのように見事に上手い事、丸く治めてしまい、何事もなかったかのように物事を転がし続ける事が出来るやつが、大物なんだろう。そんなレベルで「ヒキが弱い」とか「すぐフリコむ」ような人間は、絶対大物にはなれないのだ。まあ、だから話を戻すと、何もかも全部ゲロしちゃおうとしてる自分のような人間は要するにどう転んでも、小さな小さな小市民でしかない、という事だ。いやでも、小市民バンザイだ。自分はほんとうにそう実感している。この最悪の状況下にあって、今孤独に対処を重ねているときでさえ、自分はこの事の責任を取らされたとしても、まさか殺されたり監禁されたり、そこまではされないと、わかっているからだ。そういうちいさなリスクと小さな利益の慎ましい範囲内でずっといき続けていられれば、自分は何の文句もないのだ。ほんとうにそうなのだ。


などと考え事をしている間に、モニタに表示される情報はほとんど最悪の概念を更新する勢いで絶望的なエラーメッセージのダイアログを何重にも重ねている。もう制御不可能ぎりぎりの状態で、この場所自体もヤバイかもしれない。ほんとうに、一体なぜこんなことになってしまったんだろう?っていうか、この状態って明日の朝までに直るか直らないかっていうレベルは、とっくに越えてるけど、でもあと何日か経った後の、今週末の自分は一体何してるだろう?とぼんやり想像してしまう。すべてが終わって、問題も通り過ぎて、「みそぎ」も終えて、何もかもが復旧した後の状況で、休日のひとときを自室で過ごしていられるだろうか?そのような時間を、あ、いまその時間に自分がいる、という風に、この後実感できるだろうか?その自由が自分にはまだ許されているだろうか?本当にあと何日か後に、そんな、まるで夢のような時間が訪れるのだろうか?いやむしろ、今この最悪の状況の方がよっぽど悪い夢みたいにも思うけどなあ。さっきから、ちょっとでも気を許すと、一気に離人症みたいな状態にもっていかれてしまって、どこまでもぼんやりとしている自分がいて、それをもうひとりの自分が、じーっと見ているだけみたいな事になってしって、あぁいけない、いけないと我に返りアタマを掻き爪を噛みまくっている。(すべてフィクションです)