「女の中にいる他人」


女の中にいる他人 [DVD]


自分の場合、映画鑑賞でも何でもそういう嗜好傾向があるのだと思うが、ある区切られた枠の中で整然と秩序付けられた事象の事の成り行きを見晴らしの良いところから好きなだけ観察するのが好きなのだと思う。なので、こういう家庭の有様を見続けるというのはたまらなく楽しいのである。覗き野郎の感性である。僕は出歯亀野郎である。しかし映画とは(絵画も)相当出歯亀的なものかもしれないのだが。


成瀬映画には珍しく、ミステリというかサスペンスというか心理劇とかいう映画との事でどうなのか?と思って見始めたが、そういう面白さもさることながら、やはり覗き野郎の感性をフル稼働させてあの裕福で幸福そうな一家がヤバイ事になってくる有様を楽しくみつめる事ができるので嬉しいのである。だからこの映画を観てる面白さとは、要するに小林桂樹を家長とするあの一家を様態を見つめ、新珠三千代演ずるあのキレイな奥さんの貞淑な様子とか事が起きてからの狼狽ぶりとかを遠慮なくぶしつけにじろじろと舐めまわすように見つめ続けたいという事であり、こんなとき奥さんはどういう表情をするだろう?どんな事を呟くだろう?とか、そういう細かくて嫌らしい興味だけと云っても良いのだ。…最初から明らかに後ろめたい事があると云わんばかりの、怪しい雰囲気の小林桂樹が、さあこれから私も細君もエライ事になるんで楽しみにしてて下さいとあらかじめ観る者に告げているかのようだ。


映画中、小林は妻に「浮気しました」と「殺しました」とご丁寧に分割して告白するために、新珠は亭主の犯した罪の全貌を知るまでに二回も驚かされてしまうのが可哀相なのだが、浮気の告白時は雷鳴が轟き停電して、ロウソクの炎の下で秘密が語られる。殺人の告白時はは療養先の温泉宿からの散歩の途中、薄暗いトンネルに徒歩で入っていったところで。暗闇の中で一台の車が通り過ぎるのをやり過ごしてから、決定的な一言を告白される。新珠は如何にもこれ見よがしに作られた只ならぬ劇的な空間の下で、二回も愕然とした表情を晒す事を強要される。可哀相だけど、しかし観る者はそんな可哀相な新珠を観て楽しい。


…大体、決定的な一言を聞かされる直前まで、新珠は大体、上機嫌なのである。殺人を知る事になる温泉地でも、ひょんな事からかなってしまった久々の夫婦水入らずの温泉旅行にやや浮かれていて、この映画全編の中でも、もっとも屈託の無い朗らかな笑顔で、キレイな歯さえ見せて何度も笑いを浮かべて嬉しそうに笑っているのだから、その後、奈落の底に突き落とされる訳でなんとも残酷である。


あと、亭主の小林桂樹は家庭を持ながら親友の奥さんと不倫し、挙句殺害し、最後奥さんから殺される訳だが、観ている我々は小林桂樹を普通に正常で話のわかるまともな人間というイメージで観ている。だから良心の呵責に悩み、最後は自首して社会的責任を引き受けようとする決断にも、それなりの納得をもって見届ける事が出来る。しかし、いくらなんでも小林は相当反社会的な倒錯者の可能性が高いと思う。だって、あんな素敵な家庭があって奥さんが居るのによりによって親友の別種の魅力をもつ奥さんともしっかり浮気するわ、普通じゃ飽き足らなくて「窒息ごっこ」で散々楽しむわ、相手を喜ばせつつ死に至らしめる不思議な悦楽(?)すら体験するわ、ひとしきり良心の呵責も味わいつつ最後は逆に自分の事も殺してもらえるというのだから、もう愉悦の限りを尽くしましたという一生で、性倒錯者としては最強に楽しい生涯を全うしただろうとも思われる。大体、小林桂樹的な外見であれば、世間に対しても善良で優秀な社会人・家庭人としての相当良いイメージを周囲に与える事ができるだろうから、それだけでも既に相当な悪辣ぶりと云えよう。


しかし、…とはいえ、変態の事は変態にしかわからない。変態を映画に出すとある意味やばい。登場人物に「変態」というレッテルさえあればほとんど何でもOKになってしまうので、何かものすごい事をする人(しても良い人)。というのが前提になってしまうだろう。なのでここでの小林桂樹が、一応真っ当な人間として振舞い、死んでいくという事が、却って程良い位の「怪しさ」というか「引っ掛かる感じ」を残すのだと思う。と思う…でもまあちょっと考えすぎかもしれませんが。