レイジング・ブルの妻


久々にツタヤに行った。映画は観ると二時間かかると思うと、億劫で最近なかなか観る気にならないのだが、久々にDVDの棚を眺めていたらちょっと楽しかった。西部劇のコーナーとか、有名な映画が並んでいるけどパッケージとかが新しくなったヤツも多くて、それらを見てるだけでも結構わくわくする。でも結局「レイジング・ブル」一本だけ借りて帰る。レイジング・ブルを観るのははじめて。映画はまあまあ。奥さん役の女性(キャシー・モリアーティ)が正直、全然キレイでも魅力的でもなんでもなく見えて、そこがすごく良かった。なんか不機嫌そうで、何を話しても糸口が見つからないような、根本的に異なる何かを見ているような、肝心の頭のネジが一本外れたままのような、そういう感じがするのだが、かと言ってバカみたいに騒いだりはしゃいだりして近寄りたくないような感じな訳でもなく、単に、妙に不機嫌そうな、むっつりと押し黙ったままの、でも基本何も考えてなさそうな、いつも身だしなみはすごくきちんとしてる感じの、ちゃんと社交的で相手を見て笑顔も作って、立派に奥さんの務めを果たしているのだが、しかし自分を省みたり相手を慮ったり、そういう人として基本にありそうな慈しみの色合いが、基本的に欠落しているような、でも色々と些事は一々ちゃんとわかっていて生活上の問題はまるでないかのような、なにがなんだか、なぜそうなのか、問う事自体が不可能な、ほとんど分厚い壁に囲まれた強靭な謎そのものみたいな、そういう他人のすまし顔のままで、ずーっと、ああやって当たり前の顔でソファとかに坐っている。まあでも結局、最後はブチ切れるし、最後は家と子供ごとまとめてデニーロから別れてしまう。でもその喧嘩も別れ方も皆素っ気無い。最初から何も出会ってないかのように。そもそも最初にデートに誘われたときも、行きたいんだか行きたくないんだか全然はっきりしないような態度で、ただなんとなくふらーっとデニーロに付いてきて、途中でパターゴルフをやるシーンがあるけど、あのシーンは何だよ(笑)と思うような感じで、一緒になってからも態度が変わるわけでもないし、なんとなくあまり感情がおもてに出ないような感じの表情をしていて、ぶん殴られたりもするし、結構大変なのだが、しかし何とも妙に自分で勝手にしてるような、不思議な感じである。