「秀子の車掌さん」


http://homepage2.nifty.com/RYO-TA/syasyo.jpg


CSにて。バスが遅い。ゆっくりとこちらに向って走ってくる。時速20kmくらいか?素晴らしい遅さで、ぶーーんと近づいてくる。1941年の日本の田舎の風景。(半年もしないうちに真珠湾攻撃するのだ。)真っ白い未舗装道路で、周りはぽつぽつと建物が立つばかりだ。高峰秀子が運転手の藤原鶏太(釜足)に話しかける。運転座席後方の手すりにつかまって、体を支えながら話しかける。後ろを振り返る。誰も乗っておらず、ガランとした車内。やがてニワトリやら農機具やらを抱えたおじさんが乗り込んでくる。お母さんとコドモも乗り込んで来る。走行中に居眠りするおじさん。外に逃げてしまう鶏と追いかけるおじさんと高峰秀子。。フィルムが突然ノイズを含み途切れるように切れ、次のショットへ…。


高峰秀子がアイドルだった時代のアイドル映画的なところもあるのだろう。確かに若い高峰は良い。なるほど若いとはこういう事か、と思う(などと云うとどこのおっさんだ俺はって感じ)腰にベルトをした白いシャツは袖のふくらみとかひらひらした感じが可愛いし、浴衣姿なんかも縦縞が鮮やかですっきりしていてなかなかのものだ。靴を脱いで下駄に履き替えるために、田んぼのあぜ道を走って家に急ぐところなんかも良い。まあそれ以外は、場合に拠ってはちょっと何か喋りながらの顔がぽやーんとし過ぎではないか?とも思うが(笑)あとバスガイドの案内をラジオで聞いて、ちょっと何か思い詰めたように考えて、そのまま寝そべるところの顔なんかは良かった。奥に母親が居て、手前に腹這いに寝そべる高峰。すごく成瀬的な感じがする構図だ。


30年代の成瀬も本作もそうだが、初期の成瀬はとても軽快でテンポの良い、なんて事のない粋な小話、として作品を固めようとしているように思う。人物も戯画的で、既に決まっているフォーマット内で内実を洗練させようという事だと思う。とても自然で違和感のない会話ややりとりが、これほど古い時代の映画で行われると却って不思議に思うほどだ。


また本作での高峰の同僚でありバス運転手の藤原鶏太(釜足)はものすごくいいヤツである。主人公の高峰秀子にとってものすごく良い距離感の、ちょっと都合良過ぎなくらい感じのいいヤツである。この前、やはり成瀬の「妻よ薔薇のやうに」という1935年の作品も観たのだが、その映画における千葉早智子の恋人の男、丸山定夫も大変いいヤツなのである。全然印象は薄いけど、ひどくいいヤツだ。)こういうキャラクターって、後期の成瀬映画には絶対出てこないよなあと思った。