「東京オリンピック」


東京オリンピック [DVD]


DVDにて。うーん。これは破格にすごい。面白いし、素晴らしい。市川崑の作品としか云いようの無い出来だろうと思う。対象を掴み、把握し、極めて強烈な作為をもって料理する確信に満ちた手つきがすごい。ジャ・ジャンクーの「三峡」か?と思うほどの瓦礫と建物の崩壊シーンから始まる。会場作りの大工事の様子である。鉄球をガンガンぶつけて、それまでの建物を一面なぎ倒していく。当時はまだこんな野蛮なビルの取り壊し方をやっていたのか、と驚く。やがて代々木とか千駄ヶ谷なんかの競技場が出来始める。…しかし代々木の競技場は美しい建築物だなあと思う。…聖火ランナーアテネより世界各国を巡り、やがて日本に至り、沖縄や広島の平和記念公園をも走っていくのだが、それらが異様に高所から、あるいは空撮で撮られ、荘厳にオーバーラップしていく。無茶苦茶キレイであり、かつ感動する。開会式の各国代表選手団の入場など圧倒的である。異常なほどの日差しの強さと舞台となる競技場の土の鮮やかな茶色。そして色とりどりの服装の選手群が落とす影の強烈な黒。もうこの色彩の強烈さだけですごい。映画自体は、ダラダラしたところがまるで無い。ひとつも無駄や冗長さがない。その後の聖火点火にせよ開会宣言にせよ、選手宣誓にせよ、記録映画でありながら、とにかく鋏を入れるべきところには徹底的に鋏を入れて全体を切り詰め整えている感じである。


で、後は各競技をひとつひとつ丁寧に追いかけるのだが、全編通じて、とにかくここで見させられるのは超クローズアップの選手たちの顔ばかりと言っても過言ではない。こんなに「顔」ばっかり見たのは初めてだ、というくらいである。競技の展開とか勝敗の行方とか日本が勝ってるとか観衆が盛り上がっているとか、そういうのは全く無関心で、トラック競技であればただスタート前の一群から適当に選ばれた選手の顔が大映しになり、精悍な表情で精神集中〜スタートとともに爆発〜ゴールして脱力〜安堵と喜びあるいは空虚、といった一連の流れをひたすらワンショットのスローモーションで追う。


フィールド競技であろうが球技であろうが柔道であろうが、カメラの関心は選手の顔や体の各部位にしかない。異様なまでのクローズアップが延々続き、人間の表情の微細な変化であるとか肉体の造形であるとか凝縮させた力を一気に放出・爆発させ、躍動する筋肉の震えであるとか、そういう事が目の前の有様からひたすら抽出され、超高感度なカメラに焼き付けられ、恐ろしい程のスローで再生される。


このとき驚くのは音声の編集も極めて大胆に行われている事で、ほとんど無人の無音な密室のような場所で、対象の人物だけが走る足音と息使いだけが聞こえているような演出が為される。全編、こんなに静かなオリンピックはないだろう、というくらいすべての音声はコントロールされていて、所謂「中継」としての匂いは完全に洗い落とされている。まあ相当、作為的なのだが、無理矢理盛り上げるための演出ではなくて、逆に素の状態ではもっと激しくざわついて盛り上がっているであろう会場の、本来なら喧騒やアクシデントなどのノイズも多く含んだ雰囲気を意図的に遠ざけ、カメラと選手との一対一の静謐な関係だけを浮き彫りにするような事が試みられている。


スプリント競技で、ゴールした選手が速度をゆるめ、前傾姿勢が通常姿勢に戻っていくところの超スロー撮影のときの、だだっ広いトラックに選手たった一人が存在しているかのような、真っ白い孤独が表出するような瞬間は確かにすごい。まあこういう捉え方自体にある種の古臭さを感じないか?と云ったら、まあ多少は感じるのだが、でも観てる間はずーっと口を開けっ放しで観てるしかない感じ。


本作では取り立てて中心となるようなエピソードはなく、順々に競技が追いかけられるだけであるが、結構雨の多い大会だったのだなあと思う程、雨天撮影が多い。土のぬかるみや選手の体に付着する泥や水滴も鮮烈である。しいて言えば、全編通じて、全てを象徴するように扱われるのはおそらく「聖火」なのだが、あともう一つ特権的な撮影対象として扱われたのが、エチオピアのマラソン選手のアベベであろう。たとえば「ウッドストック」という記録映画において、そこで起きた出来事全てを象徴する役割として、俯いて静かな面持ちで演奏するジミヘンドリックスの姿が取り扱われた事を思い起こさせる。競技の後半、単独トップを走るアベベの汗が滴り落ちる俯いた横顔を延々見せ続けるとき、そこには何というか、マラソン選手というよりは思索・哲学者的な風貌を読み取ってしまう。そのように読み取る事に意味はないのだが、こういうフェスティバル的なものを対象にした記録映画を終わらすための、思索的に見える黒人の顔というのが呼び出されるのは偶然だろうけど面白い。


確か江藤淳だったと思うんだが、東京オリンピックの中継をテレビで見ていて、この日本に色とりどりの万国旗が掲げられ、各国の人々が一同に会していて、その中で天皇陛下が開会を宣言するところを見て、そしたらもう、自身でも理解できないような得体の知れぬ涙が抑えられなくなってしまって、奥さんにばれない様にリビングから逃げた。みたいな話を読んだ記憶があったのを思い出した。開会式や閉会式の様子からは、確かにそのような感慨めいたものも感じる。またマラソン自転車競技など、市街地コースを使う競技においては当時の町並みが映り込み、沿道から声援を贈る人々を見てると、60年代という時代らしき何かも感じさせる。しかしノスタルジーとか新たな発見とかではなく、むしろ今と何も変わっていない、という印象に近い何かを感じさせる。


あと当時の皇太子妃の美智子さんが何度か捉えられるのだけど、…まあ今更だが何とまあ、美しい女性でしょうね!という事であらためて結構びっくりした。