「駅馬車」


駅馬車 [DVD] FRT-058


こんな古い映画なのに、今観ても異常に面白い事にかなり驚いたし、本作が西部劇の金字塔とか歴史的名作とか云われている事に納得もした。まさにこの映画はほぼ映画の中のある「メートル原基」のようなもので、つまり事態を正確に記すとするならばおそらくこの映画が面白い、という事ではないのであり、例えばこの映画が人々にもたらすある極度の興奮状態とか強い心の揺れ動きの事を、上手く言葉にしてあらわす事が当初できなかったんで何か割り切れないものを感じながらも、でもやはり異常に心が揺れ動かされる経験をした人たちの感触は次第に高まっていくばかりなので、やむなくとりあえずこのような感触を「面白い」と呼ぶべきだという風に、映画の歴史において暫定的に決定したという事なのだろう。そしてその決定は今もなお変わっていないというだけの事なのだ。


心の優しい、人間的に信頼できるような雰囲気の「娼婦」とか、アル中で何の役にも立ちそうもない「医者」とか、横領して逃亡を企てている「銀行の頭取」とか、甘いルックスの紳士面にピストルの腕前もまあままながら人妻への下心は隠せない「賭博師」とか、人一倍臆病ながら後半やけに組織に溶け込んでしまい自己保身すら忘れがちな程の「酒商人」とか、復讐に向おうとする正体不明の「ジョンウェイン」とか…そういう相反する内と外を併せ持つ様々なな人物を、バラバラなまま狭い一つの馬車の中に閉じ込めてやり取りさせるだとか、あまりにも有名なインディアン襲撃シーンなんかでも全員がずっと真っ直ぐ走りっ放しで、その移動を延々継続しながら、その状態で可能な事をギリギリ最大限にやってみるだとか、今の目からみてこの映画はあまりにも「面白さ」に全てを投げ過ぎにすら感じられる。しかしそのような印象を感じてる僕自体が、もう既に本作品「駅馬車」が既に70年も前に構築させたある磁場から自由でない事をおそらくこの文章で照明しているのだろう。…しつこく繰り返すがあくまでも、この映画の内容が面白いのではなくて、この映画の内容から受ける強力な何かを、人々はその後はじめて「面白い」と呼ぶようになったのだ。