新潮の最新号に載っている小説。「心のレタリング」/青木淳悟を読む。9月号「学校の近くの家」も読んだけど、この連作小説の舞台となるS山市というのが、僕が幼少時から二十代後半くらいまでずっと住んでいた場所で、もう、小説に出てくるすべての地名や川や建物や道や標識などが、全部手に取るようにわかってしまうという、小説を読んでいるというのに、ちょっと今まで経験したことのないような衝撃を受けまくっている。小説の登場人物が、個人的によく知ってる道を歩いて、よく知ってる場所の脇を通るようなことになると、正直、仰け反るくらいびびる。この異常にヘンな感じは、言葉で上手く言えない。もちろん小説そのものの、ものすごい独自な感触も大きいのだが、それに加えて、モチーフとなる空間・風景・モノとモノとの関係性みたいなものが、自分の中にあらかじめしっかりとイメージとしてあるというのが、すごく不思議な感じ。たとえば映画を観ていたら、オールロケでものすごくよく知ってる場所がえんえんと出てくる、みたいなものかもしれないが、…いや、でもそういうこととも、ちょっと違う気もする。