需要供給


上野のツタヤにDVDを返して、良い天気だったのでそのまま昭和通りをとぼとぼと秋葉原まで歩いた。汗ばむ程の日差しで、途中で着ていた上着を脱いで腕に掛けて歩いたがそれでもまだ暑くて若干まいった。僕はサングラスというものを普段全くしないし所持してもいないのだけど、今日はサングラスした方が快適だろうと思うほど前方に広がってる景色のすべてが眩しかった。


秋葉原のPCパーツショップで必要な幾つかのパーツを買って、そういう場にくるのが久々だったので他にもしげしげと色々見ていたのだが、ああいう場で様々なパーツを見て色々と認識する事で、はじめて自分のパソコンの状態というものが認識の対象になるのだと、改めて気付いた。そういうものを見なかったりあるいは忘れていれば、自分のパソコンも内部の装置を変更できるという可能性など、はなから全く頭に思い浮かぶこともないからである。というか、それに拠って変わりうる何かへの期待に、はじめて内実というか価値が付与されるのだ。


情報に背中を押されて、内部組織の活性化・向上に躍起になるという意味では、健康オタクとPCオタクは同じ病とも云える。そんなんやっても無駄、というと酷いけどまあ、実際やってもやんなくても大差ないような、別にそれで何かがちょっと良くなったからって、どうせいつか死んじゃうじゃん。…って、でもそれもあまりにもコドモっぽい言い草で、そういう考え方よりは無駄だろうが妄想だろうが、なけなしのお金を使って得体の知れない何かを買ってきて、家に着くやいなやすぐ自室に閉じこもり怪しげな態度で家族に気味悪がられつつも躍起になって処方して、それで結果、ちょっと良くなったかも!というつつましい喜びの繰り返しで生きている方がおそらく幸せだと思うが。