「ファンクラブ」 ASIAN KUNG-FU GENERATION


ファンクラブ


最近はアジアン・カンフー・ジェネレーションをわりと聴いているのである。意外や意外。僕もまだまだこんな、元気の良い若い子向けの切な激しい音楽も聴けるんだね!という感じである。はい。普通にいいです。でかい音で朝一から聴きます。


しかしロックミュージックの中でも、リリシズム溢れる泣きのメロディがやや早めのテンポで元気のいいセットアップのギターでパワフルに歌われるときに生じるときの気持ちっていうか、なんとも言葉にあらわしがたいような感情の高まりというのは確実にこの世にあって、どうやらそれは永遠に廃れないもののようなのだ。ギターのロックなんてもう、誰も見向きもしないような時代が来ると思ってたのに未だにあるってのは結構驚きだ。


そういう泣けるメロディが、そのまま剥き出しの状態で荒っぽいギターリフに乗せられてしまう乱暴さというか構造の簡単さ、質素さ、手作りのアマチュアっぽさ、貧乏な感じ…パンク以降の音楽はあえてそういうのを積極的に取り入れる事でかなり反則気味に感情の高まりを生成させてしまって、そこでの感情っていうのはもう、何にもないガランとした空間の中で、木に竹を接いだような唐突さで襲い掛かってくる感動ってとこがそれまでとちがう新しさなのだと思うのだけれど、たとえばテレビジョンの「マーキームーン」は77年のリリースで、僕が初めて聞いたのも80年代とかで、いずれにせよもう、とんでもなく昔の事だが、最初聴いたときのあの何もなさの驚きとか、そのときの高ぶった心に、何か理由とかを今探って付け足すのだとすれば、そういう事になると思う。あるいはギャング・オブ・フォーの「エンターテイメント!」とかもそうだ。僕ははじめてギャング・オブ・フォーを聞いたとき、あまりにも音が貧相すぎて、こんなのを毎日聴いてる人の気が知れない、と思ったのであった。でもそれはそうじゃなかった。


80年代半ばにはスミスというすごいグループもあって、僕はスミスもテレビジョンも高校〜大学くらいで後から追っかけて聴いてるのでリアルタイムではないけれど、でもスミスで比較を絶して一番好きなアルバムがライブ盤の「ランク」なのだけれども、「ランク」が好きって事はスミスの事を本当に好きな訳ではないでしょ?とか云われたとしたら、あるいはそうかも、と答えてしまうかもしれないけど、とにかくあのライブの激しい演奏と叙情性との交錯・ぶつかり合いは、ほとんど陶然とさせられる程のものがあって、さすがに今はもう聞き飽きてしまったのだけれど、それでもやはり自分にとっては忘れがたいアルバムである。


しかし90年代以降のまさにリアルタイムで鳴っていたイギリスのブリットポップパワーポップ系はあまり夢中にはなれず、オアシスも全く興味なし。アメリカだとウィーザーはファーストが素晴らしかったけどセカンド以降は全然興味なし。スマッシング・パンプキンスなんかも「サイアミーズ・ドリーム」以外は僕には全く駄目。それ以外のグランジ系グループも全く駄目。ソニックユースとかローファイ系も趣味的過ぎて駄目。(…と皆一刀両断で言い切ってしまうと気持ちいいけど実際は微妙。ソニックユースなんかやっぱり一枚一枚聴いてるととても良いし他のも皆単体ではそれぞれ豊かで…)で、結局90年代は思いっきりギターロックからは心が離れてしまったのが結論。(むしろジャズコーナーの棚に売ってるギタリストの盤を集中的に聴き集めた。ジェームス・ブラッド・ウルマー、マーク・リボー、ソニー・シャーロック、ビル・フリゼール大友良英、そして何と云ってもジャン・ポール・ブレリーあたりを聴いていればギター音楽に関しては満足感が得られた。後はロックに関しては過去の名盤にひたすら遡行するだけの未聴盤発掘という状態。まあどれも中途半端といえば中途半端にしか聴いてないが。)


ところで僕がナンバーガールをはじめて聴いたのは遅く、ラストアルバムの「ナム‐ヘビーメタリック」ではじめてその音に触れたのであった。2001年、その頃は、ギターロックとかはもう死んだだろうと思っていた。最後の砦と思われたレディオヘッドも前年に「キッドA」で全編エレクトロニカに踏み切った頃の事であった。ナンバーガールズの音楽は第一印象としてフリクションを思わせた。大変魅力的だとは思ったが、いまさらこんな事をやってて良いのか?と思ったことも事実である。しかしそれらが単純な過去の焼き直しではない事が聴き込むにつれてじわじわと伝わってきて、今までにない手触りがあるのが感じらるようになった。それは無理やり言葉にすれば、ギターリフなんかのロックミュージックがもってる構造が極端に研ぎ澄まされて貧しくされてるというか、各要素がそれぞれ投げ出されていて解決の方向を向かないぶっきらぼうさ、という事かもしれない。これなんかは80年代以降のヒップホップの、複数のバックトラックが互いに微妙にキーを外しているような、ゆったりしたテンポが微妙に気持ち悪い非人称的ずれを孕んでいるような、そういう空気を吸った後でしかあり得ない素っ気無さだと思う。(でもそれって既に世界に先駆けてフリクションが感じさせてたよね、とも云える。フリクションって本当に素晴らしいバンドである。)


向井秀徳にとっての目指すべきデカイ対象として、レッド・ツェッペリンがあるのだというのを何かのインタビューで読んで非常に納得がいった。普通の凡庸な感覚ではツェッペリンみたいな超メジャーが目標だなんて、ビーズとかと一緒くたにされそうな不安とかあるしもっと通ウケする渋めの名前の方がもっともらしいし、色々微妙に抵抗があると思うが、自分の目指すべき音楽がどれほど強力な魅力に満ちているかをはっきり掴んでいる人ほど、こういう大御所を目標にするのだ。そういえばレッド・ホット・チリ・ペッパーズツェッペリンを真剣に聴き込み、目指すべき対象としてブレなく捉えていたグループであった。


で、向井秀徳の音楽は一応その後も追いかけてたのだけれども、それ以外のものについてはやっぱり興味をなくしたままで、(…「くるり」とかはいるものの)しばらくギターロックは好んで聴かなくなっていたのだけど、この前スペースシャワーTVでたまたまアジアン・カンフー・ジェネレーションのどこかのロックフェスでのライブが放映されていて、そのときやってた曲が「Re:Re:」だったのだけれど、それではじめてこのグループの曲の感じを知った。(結構売れてるらしいし、何年か前の一時期とかすごく世間に露出してたのかもしれないけど、僕はアジカンについてはその時の「Re:Re:」を聴くまでまったく知らなかった。)このリフがすごく向井秀徳フリクション的な、ツェッペリンをザックリとエッジだけ研ぎ直したような感触を湛えているのに、歌とかメロディが上手に整えられたリリシズム溢れる泣きの切なさに溢れていて、へー、今はこうなのか!?と思って、やや興味をもったので聴き始めた次第。リリシズムへの配分が甘口になり過ぎない辺りが、如何にも今風なんだろうなあと思う。まあまだ「フィードバックファイル」と「ファンクラブ」しか聴いてないし、実はアルバム一枚通して聴くとやや飽きてくるとこもあるんだけど、でもやっぱなかなか悪くないと思って、これからもしばらくはけっこう聴くと思う。…という事でこの文章はとりあえず「ファンクラブ」についての事にしとくか。