「母は死なず」


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一九三九年に第二次世界大戦が勃発し、映画法が制定され、映画の製作・興行に対する検閲などの規制が厳しくなった。四〇年には、国策宣伝を目的とする記録映画・ニュース映画の上映が強制されるとともに、フィルム節減のため、劇映画の製作本数が制限された。 (中略) 四一年に (中略) 政府要人は「フィルムは弾丸であり、もはや民間に回すフィルムは一呎もない」と発言し、年末には日本は太平洋戦争に突入した。四二年、映画会社は戦時統合され、松竹、東宝大映(日活・新興キネマ大都映画を合併)のメジャー三社になって、総本数はさらに半数以下に減り、(視線と空間の劇−成瀬巳喜男の戦中について「成瀬巳喜男の世界へ」24頁より引用)

1942年の作品。冒頭で「忠魂へ 遺族援護の 捧げ銃」という文句が出てくる。菅井一郎の勤める会社が倒産して、不良債権となった株券の落とし前をどうしてくれるんだと友人である藤原鶏太が菅井の妻である入江たか子に詰め寄るのだが、入江が詫びつつなけなしのお金を差し出そうとすると藤原はいきなり豹変させ「いや、いいんです、お金なんかいいんです」とか云って突如として受け取りを固辞し、そのまま逃げるように立ち去ってしまう。菅井もヤケ酒で酩酊しつつ帰宅するのだが、息子の寝顔をみると安らかな表情に戻り、入江と微笑を交わす。うわー。。これは…という感じ。何かものすごく妙な気分にさせられる。。まさに戦時下の映画という感じである。。


登場人物が全員、まったく厚みを持たないペラペラの「良い人」ばかりで、何とも気恥ずかしいような道徳的物語がどこまでもなめらかになめらかに進行していくのを痛ましい気持ちで見るほか無いような作品なのだが、しかし「統制」とはこうまで人を馬鹿にしたような甘い取るに足りないエピソードとか演出を実現させるものか。でもよく考えたらこういうなめらかさ自体はテレビで泡のように作られては消えていく昨今の大量のテレビドラマがもつ感触にもよく似ていて、極端な話、集中せずよそ見しながら映像と音を流しててももおおよそ問題なく適度な按配で情報としての「お話」を受け取ることができる、咀嚼および嚥下にまったくコツのいらない流動食のような感じ。と云ったら云いすぎだが…。


でも入江が体調を崩してはじめて布団に横臥した瞬間とかは、何かが立ち上ってきてるたような感じがして、おっ、と思わされて、つい他の成瀬の諸作品での似たような瞬間を思い浮かべてしまう。女性が横になって寝ているというそれだけの瞬間を、只のそれだけの事として済ませない、済ませる事ができないのが「作家性」という事なのではないだろうか。本作での入江たか子は時局や世相の反映からか、ほぼノーメイクの素顔に近い表情で、あの大正時代にみせたモダンな香りの欠片も感じさせないのだが、それでも目を閉じた寝顔の繊細な美しさや布団の盛り上がりの感じや…それらのとらえられ方には独自のものがあるように感じられる。


また菅井は物語の過程で、偶然をきっかけに化学樹脂の発明に成功し「美しい心と努力によって」立身出世を実現し「立派な日本人」としての規範を身をもってあらわしてくれるのであるがそれはともかく、映画の後半では化学薬品と試験管を用いた如何にもな実験のシーンが何度か登場する。これは映画前半では予想もしなかったような場面の数々であって、その原因が監督に拠るのか脚本家や演出家に拠るのかはともかく、成瀬の場合このような前半と後半の不思議な断絶感とか意表をつく展開を感じさせることは多いと思う。その意味でも、本作もやはり如何にも成瀬的な映画だとは思う。