鰯雲

ずいぶん前に日本映画専門チャンネルで録画したのを見つけて、成瀬巳喜男鰯雲」(1958年)を観る。今更ながら、1950年代の日本の農村。昔って、こうだったのか…という驚き。もちろん、想像を越えたまったく知らなかった景色というわけではなくて、むしろどこかなじみ深い、自分が幼少の頃まではこのような景色や空気や人間の感覚が、まだ所々残っていたのだろうと思わせるものなのだが、しかしというかだからこそ、もはやそれが今となってはとても信じられないと思うような、すごく中途半端な「過去」感を前にして戸惑い、狼狽える。

たとえば小津作品にこういう「田舎」は出てこないと思う。いやもちろん田舎の景色は出てくるのだけど、こういう当時の農家がかかえている個別的問題とか追い詰められて汲々とした気分というか、そんな人々の、これほど生々しい息遣い的なものは出てこなくて、小津作品において景色とはべつに、登場人物たちの人間的感覚はその当時の空気を色濃く反映していながらも、同時に映画的な要素・成分として極度に抽象化されてもいるので、今観てもさほど過去や時代的条件その他にとらわれずに作用する感じがするが、成瀬巳喜男の描く「田舎」は、もっと当時が何の処理も施されずにそのまま、いわば時事ネタ的に封じ込められてるように思う。ただし成瀬作品の登場人物たちがその時事ネタ的過去を示す一要素としてそのまま古びてしまっているのかというとそんなことはなくて、むしろ彼ら彼女らはまた、小津的登場人物とは別の意味で、世相だの時代だのとは無関係に彼ら自身の独自な映画的規範にしたがった行動を展開するのだから、その背景となる景色が作品の本質とあまり関係ないのは、小津作品と同様である。

で、本作「鰯雲」は、どことなく成瀬版「小早川家の秋」と言いたくなる感じがするのだけど、それは中村鴈治郎とか新珠三千代とか小林桂樹とか、杉村春子とか司葉子とか、キャストがかなり重なっているからでもあるけど、それよりもまず、ある終わりにまつわる、酒屋と農家の違いはあるけど、ある商売と家存続の終焉というか、時代の変遷によって変わっていくこと、誰もが変わらざるを得ない、そのことが作品の中心に据えられているからだろう。

しかしその物語の発端に位置する淡島千景木村功の関係は、そういう家の問題とは別の、単独的な不倫関係として成り立つ。その後の展開において、淡島の甥である小林桂樹司葉子の関係があり、その元には淡島の兄中村鴈治郎とかつての妻杉村春子との関係があった。そして一家の変容が避けられないことを決定的なものとする、小林の弟太刀川洋一と水野久美との関係がある。これらはすべてが連関・連動し、家そのものを現状からゆっくりと動かしていくことになり、もはや誰もが今までのようには生きていかれないことを悟る。

しかし淡島千景木村功の関係はそれらから乖離しているかのように、家問題とはほぼ無関係に、戦争未亡人として嫁ぎ先で気丈に頑張っている淡島千景の一時的な気の迷いや仮の慰めとして、最後は淡島自身の決意によって終わりとされる。ついに最初から最後まで当事者の二人以外の誰も知らないまま、いかにも成瀬的に、一つの密かな関係が終わる。

しかし中村鴈治郎が背負ってる「昔」とか「家」とか「しきたり」というものは、じつに陰鬱で重々しくて、聞いてるだけで気の滅入るようなところがある。現代に生きている我々のなかで、これを素直に肯定できる人は少ないだろうと思う。しかしそれでも、中村鴈治郎杉村春子が差し向かいで酒を酌み交わす場面は、やはりある種の何かが強く漲っていて、その場面を漫然と観ることは出来ないし、しかしそもそも、最初の方で淡島千景木村功が二人宿泊することになる宿屋での夕食の場面が、思い返せばこのふたりの囲む席と重なり合うかのようで、しかし淡島・木村が差し向かいで座るあの部屋はぐるりと障子に取り囲まれていて、その障子が外の夕焼けの色を受けて全体的に淡くピンク色に色づいていて、まあなんて素敵な空間だろうと思ったのだった。

司葉子はまだ少しだけ幼さが残っていて、これが十年後には「みだれ雲」になってしまうのだからなあ…と思う。いかにも役に似合ってる新珠三千代が店主をつとめる料理屋の二階に、小林桂樹司葉子が新婚生活をはじめる、あの何もない部屋も良かった。さらに太刀川洋一のわりと広い土間の付いた一人暮らしの部屋も良かった。旅の宿、あるいは一人ないし二人で暮らすための部屋。そのはじまりの時代。

それにしても、淡島千景司葉子もひたすら農作業に明け暮れていて、牛を引っ張ったり腰を曲げて田植えしたり、耕運機とか近代的な機械化された農機具も出てくるのだけど、その昔と今の混ざり合う感じに、冒頭のくりかえしになるけど、ああこれぞ昔だよなあ…と。かの美しい映画女優たちが「お百姓さん」を演じていて、まずそのことの過去感が、うわー、そうだな、たしかにこうだったのだな、と思う。