冬雨

おそろしく寒い朝で、しかも雨だった。よりによってこんな悪天候の早朝、健康診断に出掛けるはめになる。まるでボロイ折り畳み傘のように折れかけた心を、かろうじて抑えつつ、駅までの濡れた道を歩く。

検診は予想よりもかなり早く終わったので、朝九時半には解放される。朝九時半て…。なんか半月ばかり前にも、似たような目にあった気がするけど、そんな時間にいきなり解放されてもただ途方に暮れるばかりだ。仕方なく上野に向かう。JRのガード下はすばらしいことに、朝十時を過ぎた時点でこれほどたくさん…とおどろくほど、ダメ人間たちがカウンターにいっぱい連なって朝から酒を呑んでいた。よろこびを噛みしめつつ、その群れに加わった。

帰宅後、Amazon Primeウッディ・アレン「レイニーデイ・イン・ニューヨーク」(2019年)を観る。…面白くも何ともなかった。とはいえ、全くいつも通りだとも言える。でも妙なズレというか、違う感じがある。自己模倣とも違うし投げやりとも違うし失敗しているわけでもないし、どうとらえれば良いのかがわからない落ち着かぬ感触をおぼえた。長いキャリアをもつ作家が年老いて晩年とよぶべき時期に作ったもの、そういう感じか。

続けて大昔に録画した成瀬巳喜男「晩菊」(1954年)を観る。ほとんど内容を忘れてて、もしかして未見なのかと思ったが、観ているうちに思い出した。杉村春子が、昔好きだった男が訪ねてきたのが嬉しくていそいそと鏡台に向かって髪をととのえるあたりは味わい深い。杉村春子自身の心の中で思ったことが、本人のナレーションとして表現される。こういうのは成瀬作品の中でも珍しいと思う。芸者あがりの中年女、そういう女のふるまいが、閉められた襖の向こうで進行する。それを座ってじっと待っている上原謙。上原が彼女の元を訪れた理由は別にある。最後はいつもの世知辛く苦い結末。最初と最後ほんの少ししか出てこない加藤大介は、しかし杉村春子の現実を今までとこれからで示して、この話をぎゅっと結んでる感じだ。