ナムル


いくらなんでも暑過ぎるだろうという事で終日在宅。妻が借りてきたツイン・ピークスのファーストシーズンを延々と観続けている。僕は画面を見るともなくソファーに一日中ぐったりしていた。昼間からモヤシのナムルを肴にしてビールを飲んでいた。こうしてモヤシのナムルを箸で取って口に運ぶとき、ちょっと首を突き出してそれを口で受けようとするとき、ああ僕は、まるで韓国や台湾の映画に登場人物のように、今食べ物を摂取しているぞと思った。先日ホテルの夕食でスープを口に運ぶときとはまるで違う。体の姿勢も受容れようとする口元もまるで違う所作をしている。食卓で背中を丸めて、椀を手に持って、箸を使ってかきこむように口へ運ぶ。それが韓国や台湾などのアジア映画に出てくる食事シーンだ。古い日本映画だと、韓国や台湾映画とはまた少し違う。小津映画でラーメンを食べるシーンは多いが、彼らの背中の丸め方はやはり少し違う、というか古い日本映画で登場人物がもろに食物を口に運ぶシーンはあまり無いのではないか。高峰秀子がブドウを立ったまま食べたり、杉村春子が用意したスイカを皆で食べたりするシーンはあったかもしれないし、飲み会のシーンも多いが、彼らは大抵の場合猪口を口に運ぶだけであとは談笑しているか楽しげに唱和しているか、単に卓上や相手を見つめているだけで、ほとんど食べ物には箸をつけてなかったのではないか。食べるシーンならやはり韓国や台湾の映画という感じがする。食べて、噛んで、飲み込んで、咀嚼しながらもその合間に喋る。箸で相手を指して、やたらと賑やかに喋る。映画だなあと思う。ナムルのモヤシ一本一本はひょろっと長くて、それを箸で掴むと短めの麺のような様子なので、口に運ぶときに、つい体がそれを受け取ろうとする。それはコンソスープとは違う。それは食べ物の違いというよりも、映画の違いだと思う。思い浮かぶ登場人物の仕草の違いだ。