「カルメン故郷に帰る」


カルメン故郷に帰る [DVD]


初の国産カラー映画の撮影を成功させるという、その新技術に挑戦するという作り手の意志が映画全体に与えている影響は少なくないだろう。映画の作り手側というのは、クリエイターでもあればエンジニアでもあり、かつ場合によってはマネージメントもしないと駄目という大変な仕事であるが、もちろんそれらの仕事は各スタッフで役割分担されているという事になるだろうけど、現実はそれらの要素は多様に入り交じり、相互干渉なども頻繁に起こる筈で、ましてや本作のように、映画の目指すべき場所として「カラー映画」という明確にテクニカルにものが示されている場合なおさらだと思う。


木下恵介の映画をそう沢山観ている訳ではないのであまり自信をもって言えないけど、この監督の風景に対する眼差しの強いこだわりというか「風景というのはこういう風に見えてこなければ駄目だ、これこそが美しいのだ」という思いは一貫しているように感じられる。それらの美しさが、テクニカルに目指されている(成功させなければならない)要素とどのように絡んで、どのような効果を発揮するのか?という期待が、本作におけるそれなりの緊張感を伴った見所であろう。そしてそれは、映画が進むにつれてかなりの達成度で上手くいっているように感じられてくる。恐ろしくピーカンの青空の下で、燃え立つような木々や深緑の、色彩を伴って現れている事自体の新鮮な驚きが未だ画面に湛えられているようである。で、それは本作でも冒頭の鮮やかな青空と浅間山を遠景に従えたむせ返るような緑の野原が画面に展開すると同時に感じられる。


しかし二人の踊り子が画面に登場してからは、お話も画面の鮮度もやや低調になる感じがある。…いや低調と言ってしまってはかなり言い過ぎで、二人のこれ見よがしに派手な衣装の鮮やかさとか、惜しみなく晒される腕や足の、女性の肌の感触の生々しさは確かにすごいのだが、しかしまず、この田舎町にド派手な二人が投入されるという状態のあまりにも図式的に過ぎるきらいは否めない。すべての驚きが、その安定した設定下での効果を超えてくる機会がやや少ない。高峰秀子扮するリリイ・カルメンと、小林トシ子扮するマヤ朱美の浮き上がった感じは「イージーライダー」のピーターフォンダとデニス・ホッパーを一瞬だけ思わせもするが、何しろ二人のストリッパーは孤独な寂しさの影とかがまったく無いし、それどころか人間らしい屈託とかもまるで欠落しているので、その連想は勘違いだとじきに気づかされる。


お話としても、風俗や道徳の揺らぎに翻弄された共同体の諸問題が最終的には親子愛や人情に回収されていくとか、善良で清貧な盲目の音楽家やその妻が、踊り子達の下世話な裸踊りの芸の生き様と対比されつつも最終的にはその存在の有り様を肯定されて祝福されるとか、まあ如何にも文部省推薦とかがつきそうな感じで、映画全体が中途半端にいかがわしさを謳っていながらもっともらしい結論に持っていってるあたりが結構微妙である。というか、マトモにどうこう言うような話ではなくて取るに足らないというか笑って無視すれば良いだけの紋切り型の一種ではあるのだが。でもここまで書いてしまうと、あまりにも悪い印象の言葉が多い…。それほど悪いと思ってない。むしろ相当面白く観たのだが、この文章だとそういう感じはしない。。


いや、この文章がなんだか滅茶苦茶だが、結局、実際観るとこれはかなり面白い映画である。もう一回観ても良いくらい面白い映画だった。ワンシーンの自立性が極めて強いところなんかもおもしろい。ちょっと植田正治の写真をおもわせるような、舞台の書き割りのような空間で複数の人物がやり取りするのを、かなりの長回しでおさめてあるようなシーンが多い。周到に段取りされた様式的な芝居であって…まあ何というかすごく変な、妙な映画だという事なだけかもしれないけど、それでも面白いものは面白い。…クライマックスの、村人を集めてのダンスなんかもかなり魅せる。ステージの小汚い雰囲気の美術とか最高だし、高峰のちゃんと訓練されて技術的にも上手い歌唱が却って異様な感じをもたらすのだけどそれも含めてやたら面白い。「ァーーーー!カルメン!!」とか云われると相当興奮する(笑)…で、最後は蛍の光をBGMにまた東京へと去っていくところなんかは、本気でちょっと感動する。…上手く書けてないけど、結論としては非常に面白い映画であった。