ROMA

アップリンク吉祥寺で、アルフォンソ・キュアロンの「ローマ」を観る。しっかりとした予算が組まれて、とても丁寧できちんとした企画がなされて、脚本が出来て、映画が作られて、堂々たる出来栄えで立派に完成しましたという感じで、こちらもそれに観客としてはせ参じました、上映時間のあいだしっかり堪能いたしました、という感じだった(ちなみにnetfixの作品なので劇場公開だけが前提ではない)。まず1970年代初頭のメキシコが舞台でそこが面白い。まさに僕の生年とほぼ同じ年。景色、街並み、群集、飛び跳ねて喜ぶ犬、そこらじゅうに落ちてる犬の糞、はしゃぎまわって部屋の中をばたばた走り回って言う事を聞かないキャーキャー大騒ぎしてる子供たち、通行人も車も商店街の活気も、全部含めてめまぐるしく動き回ってる風景が、カッコいい横移動の撮影によってスクロールされていく、時折クローズアップしたり遠くの空の彼方にゆっくりと旅客機が飛んでいたり、当時を髣髴させる店の看板や大道芸人や食事やらパーティーシーンやら自動車やら、先住民区域の未舗装地帯やら埃舞う空き地やらもたくさん出て来て、なにしろ大変豪勢で満足感の高い映像の連続である。話の中心となるのはあるお金持ち一家の家政婦である先住民の女性で、それにいくつかのエピソードが絡んでくるのだけれども、雑駁に言ってしまえば女性が困難や苦難に会いつつも生きていく姿がテーマとされているのだが、話的にはとくに普通というか模範的なもので何ら過剰さとか異様さはない、よくまとまった佳品というか優秀作的なものだなとは思うのだが、個人的には物語中何度か画面に登場する銃の扱われ方が印象的だった。玩具の銃から本物までこの映画では銃が何度かパンパンと乾いた音を立てて、その音は映画が終わってからもしばらく頭から離れない。そしてそれらの銃を扱う、この映画に出てくる大人の男性たちは、全体的にかなりダメな人が多くて、ダメさが曝け出されて呆れるとか可愛げがあるというわけでもなくて(たとえばホン・サンス的男性のダメさとはかなり違っていて)、もっとなすすべなく罪深くダメな感じなので、この作品の作り手側に男性への根本的な失望感というかあきらめのような何かを感じなくもないところがあるし、それは観ている自分に直接そのように言われてるような憂鬱さへ変わったりもして、画面を観ながらため息をつきたくなるところもあるのだった。ああ男ってなぜこんなにバカなのかと。でも自分も、逃れようもなく男なんだなあと。この形じゃないにしても、結局は自分のことばかりなのかなあと。火事のシーンで呆然と歌を歌ってるナマハゲみたいな男が何を歌っていたのかはわからないが、あれも自嘲というか自らの愚かさを嘆いていたのだろうか、それともまるで別のことだろうか。