「1998-2004」ゆらゆら帝国


1998-2004


それまで全く聴いたことが無く、どんな音楽なのかも知らなかったゆらゆら帝国の「空洞です」を買ったのはこの前の、一月のことだったと思う。ミュージックマガジンで去年のベストアルバムに選ばれていたのだ。それで試しに買ってみて、聴いてみたのだが…一曲目の「おはようまだやろう」のマーヴィン・ゲイが壊れてやけくそになったような得たいの知れぬイントロからいきなりすごい空気が醸し出され、一気にもってかれるような何ともとりつく島のない感じは確かに強烈な存在感で、うわぁこりゃあ今どきの最前線に立つロックバンドだなあと思ったし、今のギターを主軸としたロックミュージックが、やはりここまでひしゃげた形をもたないと成立しないんだなあというのがそれなりに感慨深いようにも思ったけど、今告白すればその時点で、まあ単純に云えば他人事っぽい冷めた感想を心に感じて、要するにあんまり「熱く」はならなかったというか、その内容とか良さについては当時すぐにはわからなかったのだと思う。


でもこの前たまたま動画サイトをみてたら、どっかの人が自分でベースを弾いてゆらゆら帝国の「ズックにロック」に併せて弾きまくってる映像があって、それがやたらと格好良かったので、そのとき図らずもゆらゆら帝国に再会してしまったのだ。


まあその映像のベース演奏自体はすごく上手かったけどわりとどうでも良くて、とにかく僕はそこではじめて「ズックにロック」を聴いたのだが、その時点で最新作しか知らなかった僕にとって、このゆらゆら帝国というバンドが、かつてはこういう音を出していたのだという事が一挙に理解できたわけです。そうすると、結構な量の「びっくり」感が自分に襲いかかってきた。へー!その流れの最新状態が、前に買ったあの「空洞です」なの?それはなんだか、とてつもなく素晴らしいことなんじゃないの?と一気に感じさせた。


何が言いたいのかわからなくなってしまったが、とりあえず素晴らしい!と思って急いでツタやでベスト盤を借りてきて今日はずーっと聴いた。(そんだけ盛り上げといてレンタルでしかもベスト盤かよ!って感じだが)…しかしこの、今どきのギターロックというジャンルの、ファズとかディストーションとかの音圧に寄りかかってるだけのストレス発散系の非インテリ系の革ジャン系の、頭の悪い音楽なんじゃないの?という浅はかな考えを、むしろそう思ってくれた方がこっちも気が楽ですどうもありがとうってくらいの勢いで返しかねないくらいの、ほとんど病気というか神経症かと思うほどの音に対する繊細さは、もうほんとうにほんとうに驚くべき事だと思う。今どきサイケデリックとか称してギターロックをやるというのは、もう要するにストイックにまっとうな事しかやりませんと宣言しているようなものだろう。それを成立させるための、ほとんど不条理なほどのテンションである。でもそれって逆に、音楽はまだまだギターロックが面白さをいっぱい含んでいるんだと、その可能性がいっぱいあるんだという事の証明なのかもしれない。カッコつけて悲壮ぶって、音楽の未来を憂うとか云ってるのが一番お気楽な脳天気で、本当のシリアスかつ本当のアドレナリン放出ドーパミンだだ漏れな生の快楽が生きてるのは、やっぱこのあたりの音楽だけかもしれない。


あと「日本語でロックをやる」という事に強いこだわりがあるというのがウェブ上の情報を見ていて目に付くけど、確かに日本語でロックをやる事の抵抗感とか恥ずかしさみたいなのをまるで感じてない人というのは、ある意味どうしようもないのだけど、でももう、今の時代さすがにそこまで殊更、意識的じゃなくてもいいんじゃないか?それだとむしろ逆にうざくないか?とも思ったりもしたのだけど…でも「すべるバー」とか「誰だっけ?」とか「ミーのカー」とかが、あまりにも良いので何度か繰り返して聴いてる内に思ったのは「日本語」っていうものの変に屈託や裏返った自意識とは無縁な、かなりそのままな面白さというか、表現できるニュアンスというものを最大限大切にしてるんだろうなあという事が感じられた。だからこそあえて「日本語で…!」みたいな話になるのだろう。


…こうしてごちゃごちゃ書いてもあんまり意味ないのだけど、何が良いって、何度でも聴きたくなってしまう事だと思う。こんな単純な事しかしてないのに、なんていう深さだろう。