fuji rock世代


テレビを見てたらFuji Rock Festivalの宣伝番組で、今までのFuji Rockのダイジェストみたいなのをやっていた。Fuji Rockが初開催されたのは確か1996年。自分などはモロに「世代」である。初開催時の大変だった状況とかが雑誌でずいぶん書かれて、それなりに熟読して、いやーすごいなあ、でも熱いなあと思っていた。でも僕自身はFuji Rockはその後も結局、一度も行った事はない。


でも、そのダイジェスト番組を見ていて、次々登場してくるミュージシャンたちが、自分でも驚くほどその時代のその感触をたたえていることに、ほとんど戸惑うほど強い印象を受けた。見てないのに、過去にこの目でステージを見たかのような気持ちにさせられた。


色々思ったのだけど、一番印象深かったのはやっぱりパティ・スミスの姿だろうか。…パティ・スミスという人の90年代の、もうほとんど只のオバサンでありながらも、なぜか一生懸命、とりつかれたように無理して頑張ってるみたいで、ほとんど引いてしまうような、笑いの対象としか思えないような、ああいう感じでありながらも、でもふと気づくと、一挙に胸の奥の、一番熱い部分を鷲掴みにされてしまうような、焼け付くようなあの感じというのは、ほんとうにパティ・スミスなんだよなあ、としか思えないのである。(メイプルソープを亡くし、夫のフレッド・スミスを亡くし、それらの喪失感に抗うかのような、寄り添うかのような、そういうロック・ミュージック・サウンドであった。)


今、パティ・スミスを毎日聴く事はないけど、でも不意にああやってステージを見ると、もう一気にもってかれてしまう。その力。結局人の心に残り続けるものとはそういうものでしかないのだろうと思う。


あるいは、あのイギーポップの姿…。ほとんどプロレスラーのような滑稽さすらたたえつつ、オーディエンス無法地帯みたいになったステージでなおも叫んでいるあの姿…。あるいはぶち切れまくった末の凄まじいヤバサを醸し出してるミッシェル・ガンの姿…。ビースティーも電気もブランキーもみんな居て、あるいは、初回第一日目の暴風雨の中でうたうレッド・ホット・チリ・ペッパーズの姿。。中止が決定した二日目の朝の泥に塗れたステージの惨状が、驚くほど1969年の「ウッドストック」の映像に酷似していた事の衝撃など…。


でもまあ、僕はそういうのすべてから外れたところで、ひとりで何の共有感覚もなく今までやってきたつもりだったけど、何かそれらをみていると、うわーーこれってモロに同世代が共有してる何かなんだろうなぁ…とも感じない訳にはいかなかった。一応、そういう共有体験みたいなのがぼやっとでもあるんだなあと初めて思った。というか、今も子連れとかでfujirock行ってる人って、僕と同世代なのだろうなあ。。そういうことなのだろうなあ、と思った。まあ、でも別に、そういう人と話が合う訳でもないだろうし、友達になりたい訳でもないだろうし、同世代間の共有感覚なんて、別にそれ以上のものではないだろうとは思うが。…っていうか、要するに今が、当時ともはや、まるで違う時空に生きて暮らしてるから、逆にその時が、鮮やかにノスタルジーとしてよみがえってきて、それに浸れるという事なんだろう。


そんな事を考えていながらテレビを見続けてたら、そのうち「笑点」がはじまった。で、あ!歌丸が休んでんだ!と思ったら、昇太が司会をやってた。うわあ、大丈夫か?と思うような、緊張感のある大喜利が超新鮮だ。メンバーのネタもいつにも増して冴えてる!主の欠落を皆で必死にリカバーしようとしてるのだ。だからいつにも増して、すごい結晶感の高い感じがあって、思わずものすごい勢いで爆笑しながら、なぜか得たいの知れぬ涙がこぼれてきてしまった。。(それはうそだが)