父喋る


先日の帰省で、ひさびさに父に会ったのだが、父は相変わらずよく喋る人である。機関銃のような勢いでのべつまくなし喋って喋って喋り倒す感じである。一時間でも二時間でも、とめども無くお喋りが続く。まるで、壊れた拡声器のような、ひたすら空間を満たしている鳴り止む事のないデカイ声を聞き続けていると、僕がこの声の主の、実の子供であるという事実が、つくづく信じがたいことに思われる。


その後、ようやく日が暮れ始め、父の住まいは狭く多人数が宿泊できる環境ではないので、予約してある近くの旅館へと向かい、先に僕が一風呂浴びてやっと一息ついた気分で、夕食の用意が整えられた部屋へ向かうと、どうやら僕が最後だったようですでに皆が居り、で、またしてもものすごい勢いで父のお喋りの声が部屋中にとどろいており、話が猛然と加速していく真っ只中であって、もう乾杯もいただきますもすっ飛ばして喋ってる感じで、一帯どんだけ喋る事があるんだろうと思って唖然とした。


父の話はほとんどが既存のネタで、それはもう何度も聞いたよ、というような話が何度も何度も反復される。あまりにも反復されるので、それはそれで古典落語みたいに、細部の細かな演出の変化とかも含めて、わかっていながらもなんとなく聞いてしまうような、独自の説得力をかすかに含有していなくもないほどだ。(でも話を面白くしようとして、登場人物である僕とかを思いきりいやらしい性格の人間にキャラ付けしたり、阿呆みたいなセリフを言った事にされたりするので、何度も経験済みであるにもかかわらず、それをされるたびに内心ものすごく腹が立つ。)


で、今回も久々にそういうのを聞いていて、改めて思ったのだが、父はもはや、今までもこれからもずっと、このままなんだろうという事で、僕もおそらくはこのままだろうから、それは見事なまでに平行線である、という事であった。しかしそれと同時に、唐突なようだが、僕にとっての「昭和」みたいなものが、父にとってのそれと同様、どこまでいっても遠いことにはならず、いつまで経ってもすぐ近くにある、という事なのであった。父は所謂、戦災孤児で、両親の記憶がない。親戚の家族・兄弟に育てられて、そのことは父の人生をある種、決定的なものにしたのである。67歳になる今でも父はそのことにがんじがらめである。掘り起こせば掘り起こすほど、残酷な現実しか発見できない、という体験が身に刻まれていて、未だにその重力からまったく自由になれず、おそらく今もそうなのである。止め処もなく続く父のお喋りを聞いていると、ひとりの人間を捉え続けているその強い重力の作用を感じる。


僕は僕で、そこから一定の距離をおいてまさにそれとは平行の間隔で今まで来ており、おそらくこれからもそうなのだが、しかしそれは僕とまったく無関係なことでもなく、何事かが僕の中に宿っていて、おそらくそれが、僕にとっての「昭和」みたいなものが「近い」というイメージになっている。


翌日になって、父の住まいから出発する際、靖国神社から毎年送られて来るという扇子をもらった。お前も東京におるんなら暇なとき靖国くらい参って来たらええやないか。お前の爺さんがおるとこやないか。と、そのとき言われて、そういえば同じことを過去にも何度か言われた。旅行中は猛烈に暑く、もらったその扇子が大変役に立った。ひたすらばたばた、あおぎまくっていた。