「LOVERS」古橋悌二


初台のオペラシティにて「トレース・エレメンツ」展。ずっと観たいと思っていた表題の作品をはじめて体験することができた。


四方を壁に囲まれた暗い空間である。まんなかにはプロジェクターらしき機器がいくつも積み重ねられてマウントされたスチール製のラックがあり、人の背丈を超えるほどの高さで塔のようにそびえている。背面から伸びるケーブルの束はアフロ系人種の髪のように束ねられ、天井部へと導かれているのが微かな光に照らされたシルエットになって見える。


ミニマルな音の欠片が深いリヴァーヴを湛えつつ空間を満たす中で、やがて中央のプロジェクターが微かな機械音をたてて旋回し、ある方向を照らす。ぼーっとした輪郭の、裸体の女性の全身像があらわれる。


その肩甲骨や臀部の光のたまりを見つめていると、唐突に、別の裸体が目の前をさーっと横切って走り去っていく。やや驚いて視線を動かすと、自分の側面の壁にも、振り向いた背後の壁にも、やはりぼーっとした、裸体の男女だちがあらわれたり消えたりしていることにはじめて気づく。


イメージの恐ろしく繊細で内省的な扱いと、一瞬、マイブリッジの連続写真を思い起こさせるようなアナクロさと、ハイ・テックなクールネスが渾然となった儚くも美しく過激な幻燈絵巻といった感じ。


彼らや彼女らは行き交い、立ち止まり、重なり合いはするのだが、接触はしない。彼らは、抱擁のしぐささえ何度もこころみるのだが、永久に孤独に、自分のいる空間が自分ひとりだけであることを宿命付けられているかのようである。その孤独さが孤独さのまま単独で生成している事態そのものが、何層も重ねられているかのようだ。


古橋悌二本人とわかる裸体の男性が、正面を向き、ゆっくりと両腕を広げていき、やがて背中から、すーっと吸い込まれるかのように、不可視の空間へと消え去っていく。まるで自らのたつ背後が崖っぷちであって、後ろを確認もせずに平然と背中から身を投げて、奈落へと投身自殺してしまうかのように、目の前ですーっと消えていく。この真っ暗な空間の中で、その瞬間にだけ、深みをもった奥行きがあらわれる。未知の恐怖と表裏一体の奥行きに戦慄する。


ビデオの荒々しい画像粒子が、もともと被写体の質感に拘泥したり感情に受け皿となる器として機能することに適しておらず、むしろもっと、ぶっきらぼうに投げ出されたその場限りの実用本位なイメージを明滅させることににうってつけの媒体であるという事に、このインスタレーションは極めて自覚的なのだと思う。それはつまり、解像度というものへのシビアな眼差しという事だろう。これくらいの粒子で映像が投影されるとき、人はそこに何を見るのか?という事を、このインスタレーションは知り抜いており、完璧に近いイリュージョンを見せてくれる。実を言うとたぶんそれはイリュージョンに過ぎず、単なるまやかしに過ぎないのだが、まやかしもこれほどの完成度なら、誰も文句はいわないよね、というレベルで結実しているのだ。