RYOZAN PARK 巣鴨で、古谷利裕 連続講座 第1回「未だ充分に語られていないマティスピカソについて」。ひとつの絵画をとことん観る。つまりとことん分析し、腑分けし、受け取ることの出来るイメージを並べて吟味してみる、これは絵画の分析でもあるけど、同時にそれを観た人の体験、それを感じ取った感覚そのものに対する分析でもあると思う。

(以下は聴講した自分が思ったことを書いているので、講義内容そのもののではないのでご承知おき下さい。)

1907年、絵画「アヴィニョンの娘」がこの世界に生み出された。その衝撃と成果は当人のピカソでさえまだ十全に理解しておらず、いったい自分が何に着手し何を実現してしまったのか、それに不安をおぼえ、緊張を感じ、困惑し、混乱し、以後一部の作品においてやや迷走の気配すら見せるほどだ。

図らずも生み出してしまった「アヴィニョンの娘」の後、不可逆的な場所に立ったピカソは自分の為した成果からあらためて何を読み取るのか。

アヴィニョンの娘」では、いったい何が起こっているのか、画面上の出来事を執拗に追いかけて、要素の違いごとに分類してみると、まず三次元的な前後関係は構成されていながらも、その秩序を生かすことはまったく優先されず、あらゆる要素すべてが同等に扱われているようでもあり、しかも三次元的配置構造とは無関係に、画面のそこかしこを流動する運動感が感じられ、色彩の分布と色同士の近接による近づきと遠ざかりの作用が感じられ、それらが混然となってひとつの画面におさまっている。

アヴィニョンの娘」は、画面内を均質的に覆う運動の激しさと、各モチーフ(人物や背景や小道具)がもつ従来的絵画の印象との剥き出しのぶつかり合いこそが魅力なのだと思う。とくに人物の顔、五人のうち二人はアフリカ彫刻の仮面を被っているかのような、もはや人間をやめてる感もあるけど、それと同時にイメージは依然として女性の裸体でもあり、頭上に掲げられた腕、大股開きの臀部や太ももであり、その紡錘形のふくらみと方向付けの予感が画面を走り、前後関係を喰い破って錯綜する。それらのイメージが呼び出す柔らかさや温かみの感触は、絵画的運動にじかに晒されていて、そのことが何らかの異常事態、痛みをともなう暴力や混乱の予感を感じさせもする。

これだけ多様な出来事が一挙に同時に起こっている。肝心なのは全部が一緒に起こっているということだ。もちろんそのすべてを同時に知覚し受け止めることはできず、知覚以前の混乱のようなものとしてしか感じとれないのだが、絵画を観ることの、まずもっとも原始的なよろこびはここにある。見て感じる一連のプロセスに揺さぶりが掛かり、エラーが頻発し、記憶の枠組みにいつまでもおさまることがない。この揺さぶりに対して視覚認識はどこまで耐えうるのか、どこまでなら許容できるのか、そのギリギリの線を攻めてくる、その責め具合の奇跡的な達成が「アヴィニョンの娘」であるだろう。

アヴィニョンの娘」には、以降のピカソのすべてがすでにあるとも言えるだろうし、ピカソのそれ以降の仕事はある意味で「アヴィニョンの娘」の衝撃に対する再解釈とすら言えるのかもしれない。もちろんその後の分析的キュビズムやパピエ・コレやコンストラクションが、より整理され洗練されたピカソキュビズムの発展であるのは言うまでもない。

そしてその仕事が当時隆盛をきわめた抽象表現的な方向へ流れて行かなかった、そこから踏みとどまったことを示す要素として、ピカソが「斜めの線」を画面から捨て去らなかったことを見ているところに、なるほどと思った。ピカソは自分の仕事の行く先が、モンドリアン的な格子状空間へ近づくことを、注意深く拒んでいるというのだ。「斜めの線」こそは奥行きのきっかけであり、従来的遠近法の骨組みであり、イリュージョンを生み出す下味のような要素だが、それを消してしまうことは決して「発展的解消」ではないとピカソは感じていたのか。

抽象表現の行きつく先、あの均質的な空間の一歩手前に踏みとどまること、要素を平面上の差異に還元せず、キャラクター(雑多なイメージの寄せ集め)そのままの状態で利用する。イメージがイメージと共鳴し合い、全体と部分がそれぞれの役割から緩く分離し、かろうじて物象的でもあるような、一時的な結びつきの瞬間としてあらわれる。おそらくそれこそが、「コンストラクション」におけるギターで実現されたものでもある。

それにしてもマティス「赤い部屋」の素晴らしさよ…。(続きは後日)