「星のしるし」柴崎友香


この作家の小説をはじめて読んだのだが、大変面白かった。読んでる間はずっと面白くて、読了して、とても幸せなひとときでありがとうございました。と思うほどであった。でもいかにも感想みたいな感想は書けない感じで、今から何をどう書いて良いかわからないのだが、せっかくなので思いつくままにメモ的に書く。


自分は最近、本当に衣類に対する関心がなくなってしまって、洋服を買う、という行為にまるでモチベーションが沸かないのだが、この本を読んでいたら、洋服を買う、とか、洋服の売っている売り場をふらふら歩いて、ぶら下がってる洋服を興味のあるかないかの境界線上をふらふらしながら、只なんとなく眺めたりしているときの、そういう一連の行為を支えていた何らかの好ましさ、空虚でむなしいんだけれども、でもそれはそれで良くて、ひとまずそれをそのままに、只目の前に移り変わっていくイショウに手で触り続け、目で見続け、ふらふら歩き続ける、というときの感覚がほんの少しだけ蘇ってきたように思えた。というか、この小説の中で誰かが洋服を買う場面はないのだけど、でも特に主人公が一人で居るときなど、そういうときの気分に共鳴するようなニュアンスが濃厚にあるので、そこに誘引されたのだと思った。


最後の、こっちを見ているのに、こっちを見ていない向かいの女の子の顔を見るでもなく見ないでもなく意識している場面が素晴らしかった、なぜかこにはかなり感動した。個人的にはたぶん、こういう場面をささえる感覚と似たようなものが、ひとりで買い物する感覚にも融合してくる気がする。ひとりでいる事の、誰にも見られていない気楽さとすれ違う全員から見られている緊張感の、そのふたつの感覚が織り交ざったまま歩いたり電車に乗る。


あと「占い」についても、僕は今まで、占いというものにまるで関心がなくて、登場人物の朝陽みたいに、そういうのは全然信じなくて、まあいわば、そういうのはあらかじめ積極的に信じないタイプの人で、信じている人を蔑んだ思いで見つめてしまうようなところさえあったのだが、この小説を読んで、ああそうか占いというのは、こういうものなのか、とはじめて思った。こういうのなら、まあわかる、というか、こういうのなら、僕も試しにやってみたかも、とさえ思った。まあ多分実際には行かないと思うが。でもここでのお互いがお互いにサービスし合うコミュニケーションは、ああこれってつまり人間の社会のすべての仕事ではないか、とさえ思った。ロジカルな、規則的な、契約がはりめぐらされているような、お互いがお互いをトライキャッチしあうような、そんな多方向同時送受信の仮想空間でもっともらしくやり取りしてるこの世の中のお仕事と占いやヒーリングと、さほど違わないではないか。風水の話とかも、とてもよかった。普通に良いと思えた。実家の玄関の左手に鏡があることを思い出すところとか。


あとは、やはり年下の世代の存在に対する、ある種のちょっと距離を取りたい感じを、カツオという人物から感じさせられた。というか、カツオの方が「出し抜いてしまう」ので、ああやられた。先を越された。ああやっぱりもっと別の世界に行くのね、まだ色々思惑があるんでしょうね、という、若者のばかな無遠慮な無配慮なままの、人を適当に見下してチャチな技で相手をこちらのペースでひっぱれると思ってる浅はかさの、そういう自分を疑いもせず平然としてる無神経さの、そのすべての捕まえられなさが、かえって眩しくて疎ましくて、軽くうらやましくもあるような、そういう如何にも年下の子なテイストが香るのだ。それにしても坊主頭で名前がカツオだと、どうしてもあのカツオのイメージになってしまう。それはそういう事でよいのだろう。きっとああいうヤツなのであろう。小夜子先生もやはり、山口小夜子という事でよいのだろう。


狭い部屋で、たくさん人が来て、おでんと酒でぐだぐだする感じとかは、ああこういうのはこれはこれで楽しいような疲れるような、だなあ、と思った。そもそも主人公は彼氏とこの後どうなっていくのか、それをずーっと宙吊りの待機状態のまま、それをそれのまま受け入れている自分、というのと正面から付き合わなければいけなくて、それだけでも僕なんかからみると、すごい偉いヤツだと思ってしまう。僕は本当に昔から、そういう忍耐力はなかった。今もない。そういう忍耐力のある同じ年くらいの人が、ほとんど理解できなかった。これって本当に、僕の場合、今だから(もう自分に関係ないから)普通に読めるのだとも思う。


この後、この主人公の女の子がどうなっていくにせよ、変にカネの事ばかり考えて、自分の余生を逆算した生き方を設計するようにだけはならないでほしいと、馬鹿馬鹿しい想像だが、そう思った。普通に働いてたら、きっとそうなってしまう。僕もいつのまにか充分にそうなった。そんな自分をなさけなく思う。はずかしい。お金も大事だし、お金はあってもあっても困らないし、ちょっと無いと簡単に不安が訪れて、ほんとうにジミヘンが言ってたように、ドルがお前の神様なんだな、って感じなのだけど、そうではない人生が、カネに乗っ取られない人生がいちばん良い。