朝の混雑した電車のなか、車輌の中程に妻が立っていて、数名の乗客を挟んだドア近くに一人の女性が吊革に掴まってやはり立っていたのだそうだが、その女性がふいに、まるでモノが倒れるかのように、すーっと斜めになってそのまま崩れ落ちて、廻りの乗客にもたれかかるようにしながら床に伏してしまった。皆が一瞬唖然として、しかしその彼女に対して、周囲の数名が機敏に動いて、手を差し伸べて声を掛けて、本人も幸い比較的すぐに正気を取り戻したようで、とりあえず大事にはならずに済んだという、そんな出来事が今日の朝あったよ、という話を昨晩聞いていた、その翌日の朝である。西日暮里で、僕の隣に居た男性が音もなく倒れた。最初、足首のあたりに、何かやわらかいものがあたったように思って下を見下ろしたら、男が寝転んでいて、ひじょうに驚いた。うわ、と思って、でも大体は何が起きたのかわかった。


そういうとき自分はおそらく、仮にそういうときであれば、ある程度すぐに、あ、大丈夫ですか?立てますか?電車降ります??などと声をかけて、周囲に協力をあおぎつつ救助行動を起こすような人間だろうと思っていたのだが、ところが意外に、現実の自分はそうじゃない。あまりにも近くで倒れられて、かえって唖然とした。立つかな、立てないのかな、、などと思いながら、しばらく、無言で硬直したように相手を見下ろしていた。けっこう凝固したような沈黙が続いた。


その時間がきっかけとなったのかもしれないが、周囲にいた男性数人が、まさに機敏な行動でたおれた彼に近寄り、声をかけて、ちょうど駅に着いてドアが開いたので、そのまま数人がかりで意識朦朧な彼を抱きかかえてホームに下ろし、手を振って駅員を呼び、ぐったりとした彼に何度も呼びかけて、そのあいだ電車はずっと止まっていた。結局、十分近く運転を見合わせた。数人が降りて車内が少し空いたので、僕は吊革の下に移動して、鞄を網棚に乗せて、吊革に手を入れて、そしてドアの外の様子を無言で見ていた。


もし自分が貧血か何かで、満員電車で倒れたとき、あれほど行動的に助けてくれるような、周囲にこんな優しい人々が居てくれたら、どんなに助かるだろうか。やっぱり、男たるもの、ああじゃなければいけないのじゃないか。ああいうときに人間の真価が見えるのではないか。朝からくさくさとした陰鬱な気分の人間に、ああいう瞬発力はないものだ。それか、あるいは逆に、倒れている自分を無言で見下ろしているような連中ばかりだったら、どんなに厳しい情況になるだろうか。しかし、僕も意外とそんなタイプなのだなと思った。というか、立居地の問題というのもあるよなと、盗賊にも三分の理で思う。要するにあれほど近い場所だと、救助者の役割が憑依するにはやや爆心地過ぎて、かえって遅延が発生する。そうすると、その遅延を見た周囲はわりと遠い位置から全体を見渡せているぶん、冷静客観的な判断が可能で、あ、これは俺が動かなければという判断も比較的容易に可能なのではないか。だとすれば僕が卒倒者のすぐ傍でぼーっとしていることが、救助行為の呼び水になったわけだから、ある意味汚れ役としての責務は果たしていると云えるかもしれない…などとも考えたが、いずれにせよ、そういうときは僕は見ているだけだったのは確か。


善行というのは、今回のようなパターンの場合は、結構瞬発力というか、反射神経も必要なのだなと思う。一秒かそこらで、自分が助けに行こうと判断するというのは、人としても優しさ、キリスト教的な隣人愛の精神はもとより、それにもまして判断スピードの能力が結構重要ではないか。というか、今日お昼休みに喋ってたんだけど、たまにニュースに載ってるような、ホームから線路に落ちた人を男性二名が線路に降りて男性を救出したあと、名前も名乗らずに去った。みたいな事件があるけど、ああいうのもよくよく考えると、とてつもなくもの凄い行為なのだというのが、よくわかる。自分へのリスクがまったく無いとは思ってないだろうけど、それでも「助ける!」というスイッチが入ってしまったのだ。それはマジですごい。ちょっと人間の常識を超えていると思う。線路に落ちた人を救う…。これほど「いや、ちょっと自分には絶対無理です」といいたくなるような善行は少ない。で、こういう人は意外に多い。一車輌につき数人はそうなのだ。これは茶化して言ってるのではない。じっさい、電車の中で立派なひとを見かけることは少なくないのだ。逆を見かけることも勿論多いが。


ということをお昼休みにランチしながら同僚に喋って、そしたら脇でお弁当箱を十箱くらい重ねて運んでいた女性が、その積み重ねた弁当の上に三つくらいを崩して次々と床に落としてしまった。あー!と悲鳴が上がって、落とした子と連れの子が、散らばったものを拾い集めていた。それを見ていても、やはり僕は、それを座って見てるだけで手伝わないからね。どうなんでしょうか。なんか、今日は僕のそばに居る人たちは、僕から皆、何か悪い気をもらうらしく、僕のせいでことごとく不幸な目に会わされたのかもしれない。で、そのリカバリーをお手伝いしない僕は、なんとなくその、善意の人々が対処している情況を見て、ああここは、とりあえず人が足りてるから、このままでいいだろうとか、そういうことばかり考えているようなところがある。いったいいつから、そういう考え方の人間になったのか。じゃあ、次はちゃんと現場仕事します、と思っても、それがいったい何だというのか。


でもお互いに、皆で困ってる人の手助けをしたいものですね。