田山幸憲の「パチプロ日記(3)」


久しぶりに田山幸憲の「パチプロ日記(3)」を読んでいて、昔と同じように、静かに心が動かされた。1995年に刊行されたこの本は僕がかつて、はじめて読んだ田山幸憲の文章である。最近、どうしてももう一度読みたくなってヤフオクで落とした。それ以来気が向くと適当に開いて読んでいる。


平成6年(1994)2/28の日記のように、朝10時の開店と同時に入店して、台を見て、打ち始めて、それであっという間にかかってしまい、来てからまだ15分くらいしか経ってないのに、もう2万円近く勝ってしまっているような状況というのも、毎日打っていれば、そういう事もある。しかし田山幸憲にとって、そういう状況下において気に掛かるのは、この後の長い一日をどのように立ち回れば良いのか?という事になってくる。


さすがに、それだけ勝ってるからといって、朝11時には、帰れないのだ。来て1時間で帰る…それじゃあ、いくらなんでも酷い。それではパチプロとしては、駄目だと思う。ある程度の時間、パチンコをやってるからこそ、パチプロなのだ。もちろんパチプロは、ある程度勝たなければいけないのだけど、でも毎日の仕事というところで考えたら、その時その時においては、ある意味、勝ち負けなど、はっきりいえばどうでも良いのだ。それよりも、毎日の日々を、きっちりとこなす事の方が、よっぽど重要なのだ。それを蔑ろにして目の前の1万円や2万円に汚くとりすがるような人間が自分であっては、それでは絶対に駄目なのだ。それでは自分を殺すことになってしまうのだ。だから、今この状態のまま帰るのには、さすがにまだ抵抗がある。第一、朝11時に家に帰っても何もすることがない!呑み屋だってまだ開店していないだろう。


でも、だからとって、さすがに夕方までギッチリやる気は、もうさらさらない。じっくり台に向き合えばそりゃ良い結果もでるかもしれないが、でも勝とうが負けようが、それは嫌だ。夕方まで打つなんて自分にはもう無理だ。冗談じゃないのだ、うんざりなのだ。絶対に御免こうむる、としか云いようが無い。体力も気力も、もうそこまではない。いま一番重要なのは、昼過ぎの2時か3時くらいまでに、どうにか、もっともらしく、いいかたちで終わる事なのだ。で、とりあえず自分で納得できるひとまとまりの「仕事」を終えられた後、願わくばそのときにいくばくかでも利益が上がっており、そのまま仲間と呑み屋へ向かうことさえできれば、それが最高なのである。


2時か3時くらいまで、どうにか良い形で、もっともらしく、パチンコが成立してくれないか?で、そして、それがなるべく毎日続いてくれないか?…そりゃあそう上手くはいかない日もあるだろうが、その都度の結果は勿論、甘んじて受け入れるし、でも希望は捨てずに持ち続けるつもりだし、そういう、自分の最初に感じたある種の希望に対しては、誠実でありたい。それを待つ態度として、謙虚な姿勢でありたい。。そう考えていたのが、田山幸憲というパチプロなのだ。いわゆる客観的に正しいとされる必勝理論を振りかざして、収支の金額を自慢するだけのその他大勢とは根本的に異なる存在なのであった。