梅崎春生の「突堤にて」という短編(1954年)、すばらしかった。戦争が激化する少し前くらいの事というから、1940年代初頭あたりの話ということか。物資不足のため工事が中断され、干潮時には水面にあらわれるが満潮時は水に隠れてしまう、中途半端な高さの堤防があって、その突堤に集まって一日中釣りをする主人公を含む幾人かの男たちがいる。その場所には他の者たちも釣りには来るのだが、男たちはほぼ毎日そこに集ういわば常連ということで、それをお互い暗黙のうちに自覚し、みとめ合っているようだ。が、とくに仲良くするわけでもないし、反目し合うわけでもない。お互いの素性も本名もまるでわからないまま、妙な距離感のままの、宙吊りな時間を日がな一日過ごす。
海と、単純で幾何的な突堤のイメージを背景に、不思議な寓意性が醸し出され、そこでの人物同士の互いに微妙な関係性が、まるで書き割りされた抽象空間を舞台として演じられているかのようだ。ちょっと田中小実昌を思わせる筆致とリズム感。なんとなく不気味で、なんとなく滑稽で、そして最後は、何かダルいような、はーっと息をつきたくなるような結末へと進む。他人と同じ空間を仮共有すること、その緊張感と安心感、不快感と承認欲求、そして諦念。現代におきかえれば、パチンコ屋とか喫茶店とか病院の待合室とか、地元衆の集まる居酒屋とか、いくらでもこういう(無)関係性の空気は、ありそうではあるが。