一幅の絵


ロラン・バルト「表徴の帝国」発表は一九七〇年、バルトの訪日は一九六六〜八年の間に数度ということで、ここにとりあげられている「パチンコ」は、まだ手打ちの完全アナログ式で、しかもパチンコ屋そのものが、まだ立って遊戯するスタイルの時代なのだった。この、立って打つパチンコという時代は、さすがに知らない。「表徴の帝国」で素晴らしいのは、パチンコを「垂直に置かれた一幅の絵」と表現しているところで、パチンコしている人は、集団でありながら個別な絵画鑑賞者のように描写される。「自分の絵画の前に立ったお客は、おのおの自分だけで遊び、隣の客など見もしない。そのくせ隣の人とは、肱と肱とをふれあっている。」


パチンコについての章は、全体のなかでもとりわけ印象に残らない。今なら誰でも書きそうな事を書いている感じがする。そして、パチンコという事象そのものが、五十年前から今に至るまで、根本においてほとんど変わってないということでもあるかもしれない。その枠、フレームの内側を、何時間もじっと眺めている、ということの中に、昔も今も変わらない、(うんざりするほどつまらない)ものがあるということとも言える。


(絵画鑑賞者、いや、もしかすると画家?ただひたすら、上から玉を注入し続けて、その大部分が無駄で、しかし数百発に一つが、全体を劇的に変容させる。その行為は、どちらかというと、制作に近いかも?)