2004


至急原因を究明して報告書を提出して下さい。経緯は実際の作業個人名を用い、時系列で詳細を記述して下さい。スローガンではなく、こちらで納得のいく責任体制の明確化や手順書の作成、教育訓練を伴った根本対策を求めます。御社とは大きな信頼関係の元で仕事をさせて頂いているだけに、曖昧にすることなく再発防止を徹底願います。


なんとなく、昔の仕事のメールを見ていた。2004年。この時期は本当に厳しかった。もう誰もおぼえていないだろうけど、この年は本当に異常だった。今までで一番大変だった。メールをやり取りしている登場人物のうち、もう半分以上の人が当時の場所にはいない。僕も当時を境にずいぶん変わったし、周囲もそうだろう。ほとんど戦争だった。僕は次から次へと渡ってくるボールをひたすら夢中になってあっちこっちへ投げ返しながら、とにかく自分の身は自分で守ること、それだけが重要でそれ以外はすべて重要ではないということを真剣に考えていたものだ。でも、もはや何もかもが終わった。当時を思い出すと、今でも胸の奥からもやもやと、情況の唐突さと強引さと理不尽さとのっぴきならなさと不安と恐怖の渾然となった、なんとも禍々しいような只ならぬ思いがまざまざと甦ってくる。そして、今更のように考えてしまう。あれは一体、なんだったのだろうか。そしてあれは結局、その語の僕にとって何か、ほんの少しでも意味のある経験になりえたのだろうか。あれを経験した自分は、あれを経験しなかった自分に較べて、すこしでも何かが違う、前者としての自分で良かったと言えるような何かを今持っているのだろうか。そんなことを今でも、とりとめもなく考えてしまう。


色々な人が、色々ことを書いている。言葉足らずな内容がほとんどで、皆文章が本当にいい加減だった。これじゃ伝わらないよなあと思う。でも伝わるかどうかなんて、大した問題じゃなかった。伝わったから、どうだというのか。なかには、優しい文章を書く人もいる。気遣いに満ちて、周囲を慮った思慮深い言葉もなくはない。でも、面白いもので、優しい人の優しさに満ちた文面こそが、そのままある種の禍々しさを湛えているようにも思えてしまう。何か助かろうとしている感じ、今を隠蔽しようとしている感じを強く感じたものだ。…それはしかしもう、大昔の話。


仕事ではメールで文章の長い人はあまり好かれない。要点がわかりづらく後で読み返しても趣旨をすぐ把握できないからだ。しかし先日まで直属だった上司は文章が長かった。情況をほとんどそのまま、とくにまとまりもなく物語的に書く人で、しかし僕はわりとその長いものを読むのは嫌いではなかった。


今日も月がきれい。と思ったけど、空全体がぼんやりと膜をおびたようで、クリアさのない冴えない感じ。そして暑い。今夜はどうやらまったくの無風らしい。寝苦しい夜になりそうだ。何か聴きながら寝るとしよう。さて何を聴く?