「インランド・エンパイア」


インランド・エンパイア 通常版 [DVD]


DVDで約一年ぶりに「インランド・エンパイア」を観る。初見時は映画館で観たのだが、この映画が何しろ実に気持ちの悪い、正視している事が耐えられないほど気持ちの悪いものであったため、なさけない話であるが、当時の自分としてはもう、そのまま冷静にスクリーンを見つめている事がとてもできず、わざと余所見したり薄目を開けてぼやっとピントをぼやかした視界で見たり耳を指で塞いだりして、それでも耐え切れず、結局、映画の後半はずーっと目をつぶったまま上映が終わるまで映画としての出来事すべてを、やり過ごしていたのであった。…で、久々にリベンジする気になったので、嫌になったらすぐ止める気満々で、妻と一緒に日中見た。出来ることなら天気も良かったし家の中ではなく明るい外の公園のベンチとかで見たいくらいだった。


はじまって5分くらいは、うわーこりゃ今回もやっぱ駄目だこれ最悪耐えられない!と猛烈に思ったのだが、結果的には最後までイケた。これで僕も、今や「インランド・エンパイア」を観た人になれた。しかし観ている間中、ずっと、これらのイメージを映画館で観ていたときの強烈な圧迫感、切迫感、焦燥感、不安感…みたいな感触の方をひたすら思い出していた。そっちの苦痛感覚の記憶が、無茶苦茶リアルに蘇ってくるのだ。そのために観ているのではないか?と思うくらい、過去に感じたダメージの感触が猛烈にぶり返してきた。でも既にfix済みの記憶だから苦しくはない。


何しろ人物二人が異常なまでのクローズアップで会話しているのが切り返される。という一連のシーンだけで、それを映画館でじっと見つめさせられるというのが、どれだけ選択肢を奪われた一方的な暴力的な行為であるか。観ていて、ほとんど窒息させられそうな気分になる。画面のほとんどを何かが占めていて、それが何か喋っているし、切り返しの持続もあるので、観念してそれら一連のものを受け入れ続けるしかないという暴力への屈服は、想像を超えるものがある。それが自宅でDVDで、何倍にも希釈された低作用の環境で観ていると、ほとんど理不尽といってよい程の力の作用の記憶として蘇ってくる。ほとんど、羽交い絞めにされて口に漏斗を押し込まれて強引に何かを腹に流し込まれるのと変わらないと思う。時計仕掛けのオレンジみたいな大げさな事をしなくても、映画はもう既に充分暴力的な一方的な装置である。映画館で観ないと意味が無い、というのは、観覧車とかジェットコースターは実際に乗って体験しないと意味がない、というのと同等の意味であろう。それは確かにそうだが、僕は単純に観覧車とかジェットコースターが駄目なのだから、それを自宅のフィルタリング画像で観るしかないので、それはそれで仕方が無いのである。…自分で何が言いたいのかわからなくなってしまったが。。


映画としては確かに、ある強烈な「手触り感」みたいなものをがっちりと掴んでおり、驚くべき作品である事は間違いないと思った。「死」というもののイメージが、これほど具体的に描かれてしまう事に、強い興味を示さずにはいられない。実際、「死」とは、あのようなものなのではないか?という事が、頭から離れなくなってしまう。裕木奈江の語る非常にどうでも良いような物語こそが、死に赴く直前の深いリアリティに直に寄り添っているようで、かつ、あのライターの炎を見つめるときのあの瞬間…。たぶん死とはあの瞬間のことだ。


自分が初見時に激しいショックを受け、もうどうしてよいか分からなくなって、恐怖のあまり思わず悲鳴を上げたくなった二つのシーンがあって、今回それらをどちらも確認した。どちらも大した事ないといえば大した事なかった。しかし妻は「回路」や「叫」の方が何倍も怖いと言うのだ。僕はそれらはまったく怖くない。「回路」の歩行する女幽霊なんて、何十回も観てる(あれ大好きだから)「インランド・エンパイア」の方が、まだ相当ヤバイものを一杯含有している気がする。


前回も今回も思ったのだが、この映画は前半のローラ・ダーンの感じがすごく良い。本作に限らず、リンチの作品では主人公の女性は最初実に普通に現実と齟齬も干渉もなく馴染んでいるようで、その服装や化粧や仕草や身のこなしや社交辞令や作り笑いの表情すべてが、完璧に見事に社会性というかハリウッド的というか、完璧であるがゆえのハリボテ感満点で、そこが素晴らしいのだ。マルホランド・ドライブ前半におけるナオミ・ワッツの奇怪なほど献身的なサービス精神と同様なものを、冒頭のローラ・ダーンも感じさせる。じょじょにおかしな事が露呈してくる事で「え!?なんなの??」という表情をひたすら見せる。正に顔文字「(°Д°)ハァ?」という感じの症状。困惑、狼狽。でもやがて「誰かがおかしな事を言ってる」から「私がおかしな事を言ってる」へと、なすすべも無く変容していき、そのままグシャグシャへと至るという流れはけっこうポルノ的というか、ワイセツ性で引っ張る要素も極めて強いと思う。


というか、ローラ・ダーンももう年だし、決して美人女優ではないと思うが、きっちりとメイクしてうつくしいワンピースを着てるときの感じとか、ぐっと踵の持ち上がったヒールでカツカツと歩いているかと思いきや、みすぼらしい身なりの完全にスッピンで口元の傷跡も生々しい、目尻の皺も露でまるで初老の老婆のような顔でもあったりとか、もうかなり様々なものが露呈しているかのようで、別に肌も露なベッドシーンも無いしヌードも無いのに、正直ローラ・ダーンのかなりのことを観てしまったような錯覚に陥る。…たぶん、すごいポルノとは、女優が美人かとか体がどうとかそういう表層的なところなど、平然と突き抜けるようなものだと思う。そういう事とは別の、何だかよくわからない他人の表面世界へと突き抜けていく感じ。その意味で、この映画はローラ・ダーンという女性をモチーフにした極めてすぐれたポルノでもあるのではないだろうか?などと思ったが、まあ僕はポルノを観る経験が圧倒的に不足しているのであまり軽はずみなことを言うべきではないだろうが。