炭のせろ


制作。この辺もっといっぱい炭(スミ)のせてかないとだめ、とか、無意識に感じて、あわてて筆記具を持ち替えて、また気持ちを空っぽにして、その一帯にがーっとアプローチする。その間はほとんど目つぶっているのに近い。こうやれば結果的にはそんなに外れてないはず、という見込みだけでやる。で、後で見返して、上手くいったとかいかないとか思う。


それにしても「もっと炭いっぱいのせてって」とか思ってるところが我ながらすごい。炭をのせるって、その言い方は木炭の石膏デッサンで講師から言われてた台詞である。あれから20年経ってるのに、絵を描いていてまだ、そういう声が聞こえて来てしまう進歩の無さがすごい。っていうか、色使った仕事なのに「もっと炭のせろー」と思ってるあたり、やはり僕にとって色は完全に明暗なんだろうなあと思う。判断の良し悪しも、まさにそういうところなのだろう。ぱっと見たときの一秒でわかるある種の密度というか、はっとさせる豊かさと奥行きと大胆さのあらわれがあるかないか?無意識に、どうしてもそこは外せない、と思ってる。それが僕の現時点での限界でもあろう。…まあ慌てず騒がず、ゆっくりやれば良い。少なく見積もってもおそらくまだあと10年くらいは生きるだろう。


Vasco 岡林信康ろっくコンサート (紙ジャケット仕様)


Ricardo VillalobosのVasco EPというアルバム。でかい音で聴くとかなり良い。でもこれってもはや、ほとんどジャズというジャンルで考えても良さげかもしれない。いや全部プログラミングされてる以上テクノだけど、でも目指してる音の感触自体は、ジャズが目指してるものの一部とかぶるようにも思える。音の粒立ち具合、重なり合い隣り合い共鳴し合う音たちと、その隙間に生まれるなんとも言いがたい空気。でもとにかくこれは、聴いた印象が再生装置の良し悪しに左右されるなあと思う。僕の持ってるシステムでは全然だめだが、でもイヤホンよりはやはりスピーカーで聴く方が良いし、さらに良い環境で聴けば素晴らしい体験になるだろう。


岡林信康ろっくコンサート。はっぴいえんどのライブ音源をそれほど沢山聴いている訳ではないが、ここでの演奏はもう、比較を絶して素晴らしい。っていうか、ロックンロールとは、こういうモノのことだけを言うのだ、とか言い張りたくなるほど熱い。凍るような熱さ。とでもいおうか。なにしろ、ああいう演奏にのせて、やや皮肉めいた、かったるそうで投げやりな、でもある瞬間にはかっと熱が入るようなそういう有様で、反体制的なことを適当にうたうというのが、これほどカッコいいのだというのは、ほとんど絶望的なくらいの感動である。ここで語られてる「思想」の良し悪しとか整合性とか、そういう事は別に問題ではなくて、ロックとはそういう話とはまるで別の位相に生成するのである。はっぴいえんどと組んだ岡林信康は常に最上級のロック・ミュージシャンと呼ばざるを得ない。。アルバム「1973 Pm9:00→1974 AM3:00」も素晴らしかったが、本作も掛け値なしに素晴らしい。