「Death And The Flower」Keith Jarrett


生と死の幻想


メモリを増設したら予想以上にPCが快適になって嬉しい。…で、それはともかく、最近久々に聴いたキース・ジャレットの「生と死の幻想」(Death And The Flower)というアルバムについて。このアルバムは僕が大学を出て無目的にしてた頃、バイト先にあったLPをカセットに録音して何度も何度も聴いた。全3曲入りでA面はタイトル曲が23分弱、B面は10分前後の曲が2曲入っている。普通にうっとりと聞き惚れていられるのは2曲目の「Prayer」でしょうか。僕は一曲目もすごい好きでした。


キース・ジャレットといえば、ピアノソロでありスタンダード・トリオが本領と相場が決まっている。ソロは70年代前半、トリオは80年代半ばからのスタートだが、どちらもレーベルはECMである。70年代の若者文化にとって、ECMというジャズのレーベルが放つオーラはきっと強烈なまでの芳香を放っていたのだろう。それはもう音楽の中身がどうとか以前に、あのジャケットのデザインや統一された世界観だけである種の満足感を与えてくれるようなもので、要するにその後のあらゆる記号文化消費材の先駆け的なものだったのだろう。ケルン・コンサートというアルバム(1975)が、当時どのようなイメージをまとって登場してきたのか想像しかできないけど、おそらく相当な特別感があったのだろうと思う。ピアノソロであること。完全即興で、もはやジャズという括りでは捉えきれないということ。白地にモノクロ写真のシンプルで統一された美意識の漂うジャケット。…すべてが新しいイメージだったのだ。


スタンダーズVol.1登場の瞬間(1983)も、これまた想像しかできないけど、おそらくこれもやはり既成のジャズとは一味違う雰囲気をまとっていたのだと思う。いつにもましてクールなジャケットデザイン、手垢に塗れたようなスタンダード曲ばかりでまとめられていながら全く新しい新解釈の演奏。80年代という新たな時代のエグゼクティブ達が手に取る古いのに新しい形式のジャズだったのだ。


で、僕もキースジャレットは好きだったのでどのアルバムもそれなりには聴いたけど、愛着として一番強いのは70年代のアメリカンカルテットで、とりわけお気に入りだったのが本作である。…残念ながらジャケットはダサダサである。っていうか、正直今でも素晴らしいと思うか?毎日聴きたいか?といったら実は微妙なのだが、でも作品としてどうとか完成度がどうとか、そういう話は他所の人に任せるとして、これはやはり大変素敵な、いとおしいような切なく楽しく嬉しい音楽なのである。とにかくバンドであるという事がとても重要である。あんまりやる気の感じられない、気合の少ない連中がタラタラとやってる。スタンダーズトリオの演奏だとベースもドラムも何かクオリティ高すぎで録音も気合入ってて、スタンダードなのに「匠が最高級の技で料理しました!」的な空気が、聴いててちょっと疲れるのだけど、アメリカンカルテットの場合、見た目や表層はそれなりにカッコつけてるのに、内実はすごいいい加減な感じが楽で、そういうところが好きだったのである。大体「生と死の幻想」とか「残氓」とかこの時期のアルバムタイトルの大げささは何事ですか?っていう感じだけど内実は完全にコケオドシで、スタジオ録音なのに、曲の冒頭は延々パーカッションが鳴り響いていて、煙の充満してるところで祈祷でもしてるの?ってな感じで、なにやら大変難解で高尚な思想に基づいたノー・ボーダー・ミュージックの雰囲気もあるのだが、結構テンション低いまんまで延々だらだらと即興してしまってるだけみたいな、このダラダラした感じがとても好きであった。多分、こういうダラダラした即興の時間て、如何にも70年代的な、そのときだけ許されていた時間なんだろうなあと思う。


あと、このアルバムはインパルスというレーベルのレコードなんだけど、丁度僕が大学くらいのとき(92、3年?)にインパルスのレコードが大量に日本国内盤としてCD化されたときで、コルトレーンとかアイラーとかシェップとかチャーリーヘイデンとか、その辺の「ジャズ闘士」たちの作品がそこらのCD屋でいっぱい買えた時代で、もうバイト代は全部CD屋に貢いでたような時期があった(ESPとかMPSとかENJAとかもいっぱいあった。所沢とかの小さいCD屋でもいくらでも買えた。)ので、あのオレンジと黒の裏ジャケを見ると、ちょっと特別なものに感じてしまうというのもあるかもしれない。…なんて、今思い出したから、如何にもって感じでそう書いてるだけだが。


このカルテットによるアルバムは本作の他にも結構出てるが、正直、おせじにも名演揃いとは云えないカルテットだと思うが、でもどのアルバムも「この部分だけはいいわー」という瞬間がある。キースというピアニストは要するに、ちょっとしたフレーズとかちょっとしたところで、本当に戦慄をおぼえる様な素晴らしい瞬間を聴かせてくれる演奏家で、だからフォーマットがどうとかはあんまり関係ないのだと思う。っていうか、キースジャレットほど「高尚」とか「難解」という言葉の似つかわしくない人も珍しくて、聴いてる人は皆承知の事であるがハッキリ云って超ド演歌的歌謡曲的な泣きのフレーズが真骨頂の人なのである。…っていうか「超ド演歌的歌謡曲的」っていうのは要するにアメリカンカントリーフォーク系という事ですが、そういうベタなドロっとした感性で謳い上げる瞬間をこそ、キースジャレットの聴き手は待ち望んでいるのである。それは云いすぎだが。