初夏・正午あたり


太陽が照りつける、暑い一日。木々の葉が、微妙に色の違う複雑な緑色を重ねさせながら、風に揺れている。植物がもっとも生命力をみなぎらせているときに特有な、鬱蒼とした、むせ返るような、生々しい感じで。公園の脇には人工的に作られた小川が流れており、その流れの底をのぞくと、苔むした石が積み重なり藻におおわれた褐色のジオラマであり、その一角にわざわざ人の手で配置されたかのように、一匹のザリガニがじっとしてその長いヒゲだけを水の流れにたゆたわせていたり、かすかな波紋を立てて、ゲンゴロウがすばやく浅瀬の端から反対側の端へと移動した、その残像らしきものだけが見えたりしていて、それらの生物を捕らえようとして、釣り糸の先に餌をくくり付けて、それを指先から水面に垂らして、事の成り行きをじっと見ている子供が居り、少し離れた場所では、前足をきちんと揃えて背中をすいっときれいな曲線のまま固定して、その子供の様子を微動だにせず見つめている猫がいる。


どうもまだ、手数が足りない。手数が足りないというより、手数を重ねる事ではじめてあらわれるような何かが足りない、という感じ。その感じを目指すために、必ずしも手数を重ねれば良いというものではなく、むしろ手数を重ねる事に限界を感じて、ふとそれを忘れて、ちょっとサボって適当に脇にずらしたりするときとかに、なぜか逆に、感覚が刷新されたのか抑制の範囲が無意識に広がってしまったのかわからないけど、とにかく唐突にあっけなくそれが出来てしまうような、そういうほとんど偶然に近い(しかし決して偶然ではなく、したがって最初からまぐれ狙いという態度では駄目な)何かが足りない。まあ簡単に言えば、充実した時間の積み重ねが足りてない、というだけの事かもしれない。このあたりはもはや考えても無駄とも思うのだが、でもやはりこのままだとやっぱりいまいちな気もするのだが…。そのあたりの葛藤がどうしてもある。