読書しない男


昨日、新宿の紀伊国屋とかジュンク堂とかに行って、色々な何とかフェアみたいなもを見ていて、この世の中には何と、たくさんの、読まれるべき本があるのだろう!と思った。というか、ああして見ているとほんとうにどれもこれも、ものすごく面白そうで、全部おいしそうなケーキがいっぱい並んでいるかのような、うつくしく輝く宝石のような、大変魅力的なものに見える、本というのは、そんな風な魅力があるもので、ああして一挙に並んでいるというだけで、それが醸し出しているある世界があり、その世界の中で様々な人々が行き交っているのが見えるようでもあり、喜びも悲しみも怒りも虚無も、あれらの中にすべてつまっていることが予感され、ああ何もかも棄てて、この本の山に埋もれてしまいたい。これらを読むことだけに、人生を浪費してしまいたい。とさえ思ってしまうのだ。この、普段ロクに本なんか読まない僕でさえ、一瞬そう思うくらいなのだから、やっぱり本というのは、とてつもない強靱な魅力を持つものだと思うし、これほど魅惑的なものは、時代の流行り廃りなど関係なく、いつまでも滅びないのだろうとも思う。


とはいえ僕は本当に最近、本を読んでなくて、いや、常に読みかけの本はあるのだけど、ある種の熱中をもって、ある程度の駆動力で毎日毎日読み進めていくだけの力が、ここ数年でもっとも弱まっているのが、去年の夏から今にかけての事と思われる。なんというか、今読んでいる本の「向こう側」みたいなものに対する想像力が減衰していて、とにかく目の前に字があるから追っかける、みたいな要素にもたれている部分が思いの外大きい。でも仕方がないのだ。去年の夏から今に至るまで、僕が本を読むということを完全に犠牲にしてやってきた事が何かといったら、それは音楽を聴くことにほかならなかったのだから。ここ半年くらいの、自分の音楽摂取欲の旺盛さは、おどろくべきものであった。すべてハウス・テクノ関連であったが、実にたくさん手を出して、そして聴いた。それはいずれにせよいつか、経由すべき道だったと思うので、これはこれで良かったのだと思う。でも最近はちょっと本も読みたくなってきたわ。