授業


 17日に日暮里のHIGURE 17-15 casで組立・公開講義企画 授業「セザンヌ──具体的な抽象」(講師 荒川 徹)を聴講する。面白かった。プロジェクターに次々と映るセザンヌを観ているだけでも楽しい。そのうえ話の内容もすごく刺激的だった。しかし、色々と積みっ放しの本が多いので、ああ早く読まないと…とも思うのだが、しかし、話としては無関係なようだが先週まで読んである意味、読みあぐねていた吉田健一の「金沢」が、講義を聴いた後では、かなり面白いものに感じられるようになりもした。吉田健一の場合は、これ単に酔っ払ってるだけなんじゃないか…という気もしてしまうのだが。しかし人でもなくモノでもない、ぜんぜん別の目的に進む感じとして、何か自分のなかに、乗り方がわかったような感じがあって、言葉を一々、面白いと感じる。それがセザンヌの講義のおかげであったと思う。

 組立のように、実際に作品が展示されている空間であるとか、目の前に作品があるということや、あるいは皆でセザンヌについて話を聞いて考えるというような事を実際にやってみると、まずその現場のテンションが刺激的だというのはある。現場の雰囲気が、ということではなく、そこが人やものの集まってくる現場だということで、既にかなり大きな刺激がある。そういう場にいるだけで自分の中に開くものがあって、日々の凝り固まってる部分が少しでも柔軟になってくれるようだ。