本棚、ピアノ


自分で読みたいと思った本を、自分の意志で読む、というのの初体験がいつだったか?というと、おそらく小学生のときで、そのきっかけとなったのは小学校5年くらいのときで、友人のFが星新一を読んでいると知って、そのとき星新一という名前をはじめて僕は知ったのだが、ああいう、小さな字のびっしりと書いてあるような、「大人」が読むような、いわゆる文庫本みたいなものを、自分の同級生が読んでいるというのがけっこう衝撃だったおぼえがある。


で、結局僕もそのまま影響されて星新一を読み始めたのだった。読んだ本は、またたくまに増え、本棚のある一角に星新一の著作がずらーっと並び始めると、自分がこんなに本を読んでいて、もう既にこれだけ読破しているということにある種の自己満足を感じたりもした。


で、そんなある日の事ですが、(前述のFとは違う)友人の家に遊びに行って、たまたまその友人のお兄さんの部屋をのぞいたら、その部屋には、深茶色の重厚な木製の、ガラスの貼られた両開きの扉のついた、かなり高級な感じの立派な本棚があって、その中には本がびっしりと収納されていた。色とりどりの背表紙が、びっしりと棚の前面を覆っていて、それがガラスに防御されて完全密閉の待機状態になっていた。その本は、すべてそのお兄さんの読んだ本なのだという。お兄さんがあまりにもたくさん本を読むので、お父さんが別室にあったその立派な本棚をお兄さんの部屋に置いてくれたのだそうだ。そこにびっしりと収まった本達は、ほとんどがSFとかハヤカワミステリとかだったと思う。僕はそれを呆然として眺めた。そのものすごい量には、本当に圧倒された。自分より何年か年上というだけの、友達のお兄さんが、その蔵書をみると、もうとてつもなくたくさんのことを知っている、遥か彼方の高みに居るような人に思えた。


僕は当時(今もだが)SFとかハヤカワミステリとかについて、ほぼ全く知らなかったが、しかしその本のラインナップが、自分の親の世代とか学校の先生とか、読書感想文の推薦図書になるような、いわゆる「大人」が薦めるような類のものとは違う、ということくらいはわかっていたし、そういうラインナップが、本人の意志によって、これほど大量に揃えられているということ自体にも、強く衝撃を受けた。それは自分にとって、はじめて感じさせられた「サブカル」の力であったと思う。今書いてて気づいたけど、自分にとって、サブカルとは「本人の意志で積み上げられてるもの」という風な思い込みがあるのだ。いわゆる大文字の歴史から切り離された云々…という事でもあるのだろうが、自分にっとては何よりもあの、友達のお兄さんの部屋にあったあの本棚の中のすごい量の文庫本たちこそが、あの物量こそが「サブカル」の原イメージとしてあるのだと思う。なおかつ、それが如何にもな、古めかしい高級な本棚に納められていたことが、いっそう「サブカル」力を引き立たせたようにも思われる。このように、読みたいものを読んで、それがこれほどの量に積みあがってしまうということがあるのだ、という衝撃であり、それが許されるのだ、いやむしろ、そうでなくてはならないのだ、という確信をおぼえたように思う。


で、その後SFとかハヤカワミステリとかも読み始めたのだと思うが、いまいちあんまり面白くなくて、それ系を読むのはすぐやめたように記憶する。結局小学生から中学生にかけて、自分にとってもっとも強烈だったのは筒井康隆であった。…星新一を読んで、今は筒井康隆を読んでると言ったら、これまたよく本を読む親戚のお兄さんに「そのあたりから読書に入っていくというのは、ひとつのパターンだな」と言われたことがあって、当時、この言葉も忘れがたかった。今まで読んできたことや、これから自分が読むであろう事が、すでに「パターン」であり、誰かによって先取りされているということ、その道を、お前も大体似たような感じで進んでいるのだ、という指摘は、もしおなじ意味の言葉を今言われたとしたら、決して嬉しく感じる言葉ではないと思うが、でも当時はまるで正反対の印象に感じた。なにしろ自分は、あのびっしりと本棚に詰まった「サブカル」のイメージがあったので、自分のやってる事が、あらかじめ先取りされたひとつのパターンに過ぎないという予言は、決して悪く感じられる事ではなくて、むしろとても嬉しく感じられる事だったのだ。…当時は、とにかくそう思っていた事はたしかである。。しかし、本棚もすぐいっぱいになって、そんな事に新鮮な衝撃を感じていた事などとっくに忘れてしまった。


ちなみに、また別の友人のお兄さんに、すごくピアノの上手い人がいて、この人がある日たまたま「あの素晴らしい愛をもう一度」を弾いてくれた事があって、そのときはなぜかその部屋に集まった友達何人かと、そのご両親とか近所のおじさんやおばさんも居て、なぜかみんなで「あの素晴らしい愛をもう一度」を合唱したのである。なぜ、みんなでそんな風に合唱したのか、今となっては全くの謎であるが、とにかくそういう合唱をして、その友人のお兄さんがピアノ伴奏をしてくれたのである。


で、このピアノが自分にとっては、これまたものすごい、天地がひっくり返るような衝撃を受けたのであった。なにしろ、当時の自分にとってピアノというのは、学校の音楽室にあるものであり音楽の先生がズンチャズンチャのリズムで弾くものであり、たまに女子とかがうつむき気味な姿勢でやけに真面目ぶって注意深げに弾くものであり、間違ってもあんな風に、自分とあまり変わらない(ちょっと年上の)男が、思い切り全力で、力任せの腕力で、がんがんと叩きつける様に、鍵盤に汗の後が残るくらいの勢いで弾くようなものではなかったのだから。。とにかく、そのように力任せにピアノを弾く人間、というのを、生で、初めて観たのだから。これには驚いた。というか、アタマの中が真っ白になるほど、ものすごく感動してしまった。その弾く姿に感動したのか、あるいはものすごい力で放出された、ひび割れを伴うかの如き音自体の迫力に感動したのか、よくわからないが、おそらくそのどちらにも感動してしたのだろう。で、もはやピアノという楽器に対して、それまで持っていたイメージが180度変わってしまい、驚くべきことにその後、自分はその衝撃によって熱に浮かされたようになったまま、たぶん2ヶ月か3ヶ月くらいは、自分の意志で、ピアノを習いに行ったのである。これも小学生のときだ。でもたぶん、バイエルの半分くらいでやめました。これはさすがに、いくらなんでも、あまりにもつまらなかった。