Echospace


今の自分はおそらくEchospace関連の音源だけを必要としているようで、それ系ばかりを聴きたいという状況である。聴きたいというか、それをずっと鳴らしておきたいという感じ。それがずっと鳴っている場所に早く戻りたいという感じ。それをなるべくずっと部屋中にたちこめさせておき、そこに篭っていたいという感じである。「シャーーー…」というノイズと「ぼ・ぼ・ぼ」という四つ打ちだけの、それら全体のどこかにコミットするということである。しかし、そういう風に、自分が普通に生活する中で、事あるごとにたちあらわれては消えてゆく時間に対して、音楽を聴いていられるときの、ある一貫性を伴った硬質な時間というものの、なんと短く、それゆえに貴重なことだろう。というか、自分は普段如何に、細切れな、断続的な、一貫性のない、何の手がかりも残さずあったのか無かったのかもよくわからないような、時間ともいえぬ曖昧な時間の中を、生きていることだろう。Echospaceのような音楽を聴く、というのは、Echospaceのような音楽が鳴り響くことのできない普段の日常的時間に対する深い違和感を背後に感じ続ける、ということでもある。そして、Echospaceのような音楽が延々と鳴り響いている場所をさらに深くリアルに想像しようとすることに近い。そして、さらに先まで進みたいという気持ちがやや萎え、やや荷の重さを感じ始め、結局はこれ以上深い場所に分け入っていくだけの力量が自分には無いのかもしれないことを薄っすらと自覚しはじめながらも、それでも、依然としてそこにとどまり続けて、そのサウンドに身をゆだね続けるようなものである。この音楽はほんとうは、もっとずっと前から、延々とこのようにして鳴り響いていたもので、今僕が、それに気づいた、ということだ。音楽に気づいたのか自分に気づいたのか、どちらともいえない様にして気づいたのだ。echospaceのような音楽を聴く、というのは、そういうことに気づいた、と思う、ということである。