interplay

Fさんが6日付の日記で書いている「All Of You」について、同日の自分とほぼ同じと言っても過言ではない趣旨を示されているのを読んで思わず声を出して笑ってしまう。すごい、これぞユニゾンだ。まるである主題を基に、ためしに二人で即興してみましょうと決めて、せーの、で始めたら偶然に、二人ともほぼ同じフレーズを弾きながらソロの時間を駆け抜けてしまったかのような面白さを感じた。そして、二人の聴いている対象の同一性が、このことでぐっと前に出てきたような、我々の聴いているものは、たしかにアレに他ならないですね、やはり同じものを聴きとってしまいますねえ、ということでもあると思った。

それで今日、あのアルバムあったよなあ、思って棚を探し、久々に「Free Jazz: A Collective Improvisation」(Ornette Coleman)を聴いた。というか、パーソネルを見て驚いたのだが、このアルバムのベースってスコット・ラファロだったのですね!と…今更何を言ってるのかと言われそうなことで恥ずかしいけど仕方がない。いや、しかしそれなら、まさにこれこそFさんの言っていたことの裏付け、エビデンスにほかならないじゃないかと。このアルバム、録音は1960年12月である。内容は、所謂フリージャズという言葉のイメージほどに過激なぐしゃぐしゃはなくて、むしろ普通にカッコいいジャズに近いのだが、二つのコンボがそれぞれ勝手に演奏するやり方で、要するにバンド同士のインタープレイを試してみたということで、それはビル・エヴァンスがピアノトリオ内で試したこととほぼ相違ないともいえる、というか少なくともここで聴くことのできるスコット・ラファロのプレイから想像するに、おそらく彼の意識下においては、二つの仕事でやってることの違いはまったく感じてないのではないかと思われる。

 六一年のBill Evans Trioのなかには、確実にフリースタイルへの萌芽が見受けられると思う。

というFさんの指摘には僕も全面同意で、Fさんのさらに鋭い指摘を引用させていただくと

一九六一年のBill Evans TrioはScott LaFaroも相当におかしいし、Motianだってかなりのものだが、一番頭がおかしいように思われるのは一見非常に美しく、わかりやすいようなピアノを演じていて一見一番尋常なBill Evansかもしれず、何がおかしいのかと言うと、あそこでの彼の演奏には一片の迷いも躊躇も窺われないのだ。例えばBrad Mehldauは、彼も確実にとんでもないピアニストである、おそらくは一〇年に一度、三〇年に一度といったレベルの逸材だろう、しかしライブ盤など聞くとやはり、今ここで考えているな、次のフレーズ、展開を探っているなというような間を感じ取ることができる、しかし六一年のBill Evansにはそのような間隙、空白、そうしたものが微塵も感じ取れない(と言うか、あいだに差し挟まれる休符も含めてすべてが完全にコントロールされているという印象をもたらす)。アドリブであるにもかかわらず、まるで自分が次に弾く音を予めすべて知り尽くしているかのような必然性、ほとんど「天上的な明晰さ」とでも呼びたいようなものが六一年のEvansの演奏には満ち満ちており、それが最も異常なところなのだ

(後略)

 まさにその通りだと思うのだが、これも本作を聴くたびにいつも思うことだが、ビル・エヴァンスはこれみよがしに派手だったり変だったりするフレーズはなく、いつも左手はバッキングで右手はメロディ、散漫な集中力だと律義に朴訥とした演奏が地味に続いているようにも聴こえる、一定温度、一定間隔下における、暗示のような、隠喩のような表現の連続で、しかし各フレーズはその都度その場で生成される、そのジャズ音楽がもつ特有の瞬間ごとの愉悦は、深くたたえられている、にも関わらずそれらの音の連鎖は、まるでその曲がはじめからそうであったかのように、聴く者の記憶に刻まれていくのだ。弾くというよりも、置くというのか、残すというのか、中心を外すというのか。なにしろ余計に汚くいじくりまわさない、できるだけ最小で、最良の品性を含んだ状態で放たれたもの、とでも言いたいようなものがあるのだ。

「自分がよくわかっていないものを演奏するよりも、シンプルな演奏をすることを好んだ」

「今やジャズの素材としてのポピュラー・ソングやブルースはタネ切れになった観がある」との言葉に「僕はそうは思わない」と切りかえした。

ビル・エヴァンスの影響を受けたピアニストは多いという話はよく聞く。人種を問わずピアニストなら等しくかつて聴いたあのプレイを無視できない。ちなみに僕などは50年代とかそれ以前のジャズを聴く経験の少なさから、そのビル・エヴァンスの斬新さというか特異性・固有性をあまり理解できてないだろうという自覚をもつ。逆に言えばジャズ・ピアニストのスタイルとしてビル・エヴァンス的なものはあまりにも有名でイメージとして定着し尽してしまったとも言える。すなわち内省的で、リリカルで、跳ねずに、叩かずに、曲に寄り添うような、ピアノの前に俯く外見のイメージとも相まった、今や完成されたジャズ・ピアニストのイメージ、それが未だ存在しなかった時代のジャズ・ピアノを、今ではむしろ想像しにくい。

ただそのように確固たるスタイルのビル・エヴァンスが、1961年当時において、自らのプレイとフリー的な可能性とが両立しうると考えていたのだとしたら、それはまた一つの奇跡だろう。ビル・エヴァンス自身のピアノ・スタイルが所謂フリー方向へ発展していくことは考えにくいが、自らのスタイルを保ったままで、少なくともヴィレッジ・バンガードのステージに立った現メンバーであれば、コンボのアンサンブルにおいてはこれからも、より拡散的で開放的なものへ可能性を探りながら推し進めていけるはずだと感じていたのは間違いないと思われる。多少雑駁な言い方だが、60年代初頭というのはセシル・テイラーオーネット・コールマンコルトレーンも、そしてマイルス・デイビスも、それぞれ別のやり方でフリー的なものを模索し始めて、それを躊躇なく押しすすめていた時期とも言えるだろう。そして、それらのある意味コワモテっぽいプレイヤーたちの並びに、スコット・ラファロ在籍時のビル・エヴァンスを加えてしまうというのも、あながち的外れな話ではないのかもしれない。

(というか、それを後年、ある形式において継承したのが新主流派つまりハービー・ハンコックとかってことですかね。直接的にはマイルスの仕事の継承かもしれないけど、それは新型のフリーでもあり、同時に、かくあるべきではないかと彼らが考えた61年ビル・エヴァンス・スタイルの再解釈サンプルだった…とか。)

(このへんの話はそれこそ「ジャズ史」的には、それはそうですよとか何とか言われるような話なのかもしれないが、そんな知識の問題ではなくて、音を聴いて、そう感じて、考えて書く、ということに意義があるわけです。)