シンドラーのリスト


シンドラーのリストという映画は15年前くらいに一度見て、そのときはかなり不快な気分になり、最悪の映画だと思った記憶がある。数日前、たまたまCSで放送していたので久しぶりに(後半の一時間半だけ)観たのだが、まあ思ったよりも、それほどは悪くはないかも、と思った。シンドラーという人の振る舞いが、まあ今の僕にはある程度理解できるというか、まあそういうやり方しか無かっただろうし、与えられた条件の中で最大の努力をする、というのの、ある程度冷静な描写に見えたところもあった。ラストの逃亡する前での感動シーンなんかはさすがにあんまり良いと思えないのだけど(昔観たときはこのラストが死ぬほど不快だった。)、でもああいうラストにしないと駄目という事情もあるのだろう。シンドラーはとにかく一人でも多く救うために、えげつないほどひたすら身銭切りまくって、金にものを言わせてユダヤ人たちを救うのだが、その如何にも中小企業の社長的な泥臭い感じは、悪くなかった。映画としてはとくに終盤、シンドラーがかなり素晴らしい聖人君主みたいになっているが、要するにシンドラーは実業家としての感覚で「ユダヤ人殺すなよ、まだ使えるじゃん、もったいないじゃん、もっと使おうよ。有効利用できるよ!」という気持ちで頑張ったのだろうし、そういう感覚を良いとか悪いとか倫理的に考えてもしょうがない。ある一個人の利するところに、ユダヤ人救済というアイデアが生まれた、ということでしかない。だからシンドラーという人物は本来ならば、社長シリーズの森繁久彌がやれば良いような役なのだ。


この映画のくだらないところを挙げてもきりが無い。残酷なシチュエーションを嬉々として作り上げて、それをみんなで観て楽しみましょうという構えでいること自体がどうしようもない。ナチス将校たちの恥ずかしいほど薄っぺらい単純なマンガの悪役的なキャラ作りもひどい。人を生きるか殺すかのギリギリに追い詰めて、その瞬間のありさまを存分に見せてくれるという意味で、この映画は最も低劣な品性の作品であるとも言えるし、映画的な悪趣味の極致とも言えるだろう。(プライベート・ライアンだとそこまでは思わないし、むしろ結構面白いとさえ思うのだが…)


この映画で一番素晴らしい場面はやはり、タイプライターで打ち込まれた「救済リスト」が完成した瞬間のシーンである。数百人の氏名が書かれた紙の束を差し出して会計士のイツァーク・シュテルンはシンドラーに言うのだ。「このリストは、『生』のリストです。このリストの外側はすべて、死の淵です。」…あの瞬間があるだけで「シンドラーのリスト」という映画はすばらしいと思う。というか、そのような「死の淵」を一瞬でも垣間見せたという意味で、すばらしいと思う。