浩介/働く男として


カンバセイション・ピース」の登場人物の中では、僕はなぜか個人的に浩介という人物のことばかりが気になってしまう。ずーっとギターを弾いている浩介のことを。主人公の高志は多分、浩介のことをとてもよくわかっているつもりで、信頼に足るやつだと思っていて、だから常に最良の配慮と親睦をもって接しているのだが、しかしこれは想像だけど、いわゆる浩介の抱えている現実的な側面をほとんどわかってなくて、必要以上にはとくにわかろうともしていなくて、浩介の方でも、そのあたりの事を、べつに高志にはわかってほしいなどとはまったく思ってないだろう。そして、浩介は誰に何言うでもなく、ひたすらギターを弾き、綾子や森中とやり取りしつつ、やはりひたすらギターを弾く。


浩介という人は勤め人で、というか一応社長で、社員を抱えているのだ。そして、ただひたすら、時間をやり過ごす事に耐えているかのようなのだ。何も生み出さず、何も残さず、ただギターを引き続ける。…関係ないけど「UFOさま」という映画があって、この映画中にも、やはりひたすらギターを弾いてるやつが出てくるのだが、こいつの妙にゆるいずるずるでどうしようもない「いい感じ」と比較して、ひたすらギターでブルースのフレーズを弾いているという浩介はイメージする限り、いささか通俗的というか、え?ブルース小僧…という感じもあり、、ナルシシズムな匂いが強い感もなきにしもあらずなのだが、しかしまあそれは脳内で程好く解釈してあげれば良いだけの事だ。とにかく浩介はひたすらギターを弾く。というかおそらくギターを手癖で何度も何度も弾きながら、その堆積される音の粒立ちと時間の堆積をじーっと見つめているのだと思う。


社員と言い合いになる事もあるが、論争の内実に対して夢中になっている訳でもないだろう。そんなこと、どうでもいいことだと思っているのだろう。お前らが気にしているのはとても些細な事に過ぎないのだ、とも思っているかもしれない。でもその一方で、彼らの仕事の成果を見て、こいつらよくやるなあとも思うだろう。その丁寧な仕上がりに対して、素直に賛嘆の思いを抱いたりもするかもしれない。なんだかんだ言ってもすごいなあ、これで商品として出るだけの事はあるよなあ、などと思う事もあるかもしれない。森中と飲みに行って、ちょっと色々話て、森中が大感動・大興奮してしまうのを見ていると、それで自分まで感動が分け与えられるような気にさえなる。自分で自分の言葉に酔うような若いとき特有の気分はとっくに無くなってしまったのだが、若いやつが素朴に感動しているのを見るとかすかに楽しくて、救われたような気持ちにもなるのだ。


浩介の会社は主にウェブサイト制作とかをやってるのだ。社長は浩介。社員は森中と綾子である。おそらく綾子がデザインとかレイアウトを担当して、森中が設計やコーディングをやっているものと思われる。これはもちろん全部僕の想像だけど。おそらく森中は前に勤めていた会社で、自分が担当していた取引先と裏約束して、会社をやめてからもそこの担当者と密接な関係を保ち、とりあえずそこからこぼれてくる様々な案件を拾うことでこの先もどうにか、とりあえず社員数3人の会社としてであれば必定最低限度の利益は上げていけるだろうと見込んで事業を始めており、そしてそれはおおむね予想どおりの感じで進んでおり、儲かりもしないが損失もなく、というか大手価格の人月単価で見積もり出してもあっさり受領されてしまうのである意味こんなにラクでぼろい商売もないわなぁとも思っていて、でもそれって結局、今の取引先とリンクできてるから、というだけの事でしかないよなあという事ももちろん感じており、たまには新規顧客開拓にでも行くか、と思って外回りする事もあるのだが、でもこれって本来俺がやりたいことでは全然ないよなあ、とすぐに思ってそのまま喫茶店で日が暮れるまで時間を潰してしまったりして、で、このままじゃまずいのかもしれないけど、でもこれ以上「企業努力」する気もないんだよなあ、とか思いながら、やはりひたすらギターを弾いてるだけ、みたいな感じなのだろうと思って、ああ、そうだね、と勝手に想像をたくましくしてしまうのであった。


かつてその家の主だった伯父が、不動産屋を引退して、あとはひたすらテレビを見ていたという話と、浩介がひたすらギターを弾いているという話重なりは、なぜか妙に心を揺り動かされる。働く男性、というものの歴史…とでもいうより他ないような何かが、そこでふかく響きあっているようにも思える。(何もせず、ただ時間をやり過ごすだけ…という状況こそが、労働する男性の究極形態、のようにも思える。)