一九六九年の大晦日の夜

つまり、年齢を経た私はもう、過去に録音された音源を聴くことで、そこにはっきりとこの当時、一九六九年の大晦日の夜を感じているのだ。それは高校生のときには無理だったけど、今はできる。一九六九年というものの実在をイメージできるようになったということなのだ。私は高校生のときは六〇年代オタクみたいなところもあったけど、実際はほとんど何もわかってなくて、でもそれはあたりまえで、三十過ぎるとわかるようになるのだ。なんでたかだか三十の小娘が、六〇年代をわかるのか?と言われても、わかるものはわかるのだから仕方がない。それはそういうものなのだ。というか、つまり具体的には、その日のショーを音楽的、聴覚的にも感じられるし、触覚的にも嗅覚的にも感じられるということだ。そしてそのサウンドから、その日のジミヘンのイラついた気分もすごくよくわかるということだ。

ジミヘンのライブ録音は数多いけど、どのライブを観てもそうだが、大雑把に言えばギターのセッティングがそれなりに決まっている日のステージならいい気分で演奏しているようだし、セッティングがダメなら死ぬほどイラついている。まあ、音楽なのだから、音が良ければ演奏者が気分良さそうに思えるのは当然かもしれないが、聴く方にしてみたら手がかりは音だけだ。だから私は、高校生のときからジミヘンのレコードを買ってきては、今度はどっちだと思いながら劣悪な質の録音に耳を傾けていたものだ。

でも「バンド・オブ・ジプシーズ」収録の「フー・ノウズ」をはじめて聴いたときは、またそういうのとはちょっとちがう、すこし毛色の違ったものに触れた感じがあって、何か沈鬱な、無機的で人気の無いコンクリートに囲まれた地下室内のような、そういう空間の中に、冷たいまま荒れ狂う得体の知れない構造体がうごめいてるみたいな、ちょっと今まで感じた事の無いようなもの気配に打たれて、ほんとうにショックを受けたのだ。それは演奏者であるジミヘンの気分とか技術とかでは説明がつかないようなもので、おそらく何かもっと何か大きくて、捉えがたくて、厄介で、そう簡単にわかった気になれるようなものではない何かに思えた。だから最初の頃は、私の中で「フー・ノウズ」は、わからなさ九〇%で、感動一○%みたいなもので、でも自分の中に残るその割合の感触をいつまでもいつまでも大事にしたくて、それが壊れるのが嫌だという気持ちもずっとあった。でも三十歳を越えて、高校生のときからはるか彼方の場所に来て、あらためて「ライブ・アット・フィルモア」を聴いたとき、ああ、これは「バンド・オブ・ジプシーズ」のあの場所と地続きだな、とはじめて思った。そのとき、きわめてささやかな、何とも言えないような、でも、もしかすると、それがはるか昔に予測していた何かだったのかもしれないような、ある意味、失望に近いのかもしれないような、何しろそういう複雑な、しかし否定しがたい喜びが胸に広がったのだ。

その、音に含まれるざらざらとした砂のような感触。大音量で空気がモノのように震えているのだけれど、けして空間の温度は上昇しない。低域から極端な高域までを暴力のように行き交うフィードバックノイズは、でも好調なときのステージにようには伸びやかでもないし、持続性も深味も不足している。ああ、そうなのだ。たぶんこの日のステージもきっと、コンディションは良くなかったのだ。少なくともジミは決して楽しそうじゃない。たぶん、ご機嫌が悪い。気まずい沈黙とため息。もし音楽の演奏が、降霊術のようなものだとしたら、彼の演奏によって幽霊が降りてくるのは、三回に一回なのか、それとも十回に一回なのか、なにしろ効率の悪い、割に合わない仕事をしている。成績の悪い、うだつのあがらない、あの天才と言われたジミ・ヘンドリクスとはまったく別の、冴えない黒人青年の曇った表情が目に浮かんでくる。私は、陸上競技の、スプリンターのウサイン・ボルトをテレビで観るのが好きで、ウサイン・ボルトの、その表情。仕草。愛敬があって、冗談が好きそうで、周囲をなごませてくれるような冗談を言う才能があって、周囲の人全員がリラックスしているときの雰囲気が好きで、その中での本人の表情はとても豊かで、眉間や眉がとてもよく動くから遠くの人々にも目の動きと表情全体で気持ちを伝えることができて、しかし本人の内側ではおそらく常に、不安と緊張と怖れの混ざり合った、引き裂かれるような苦痛を抱えていて、それらを含むすべてに対して、やれやれ、まったく疲れることだ、何もかもがまるで夢のようだな…みたいな、他人事のように冷めた認識をもつ、そんな、おそらくは世界のどこにでもいる筈の、ほんとうならありふれた黒人の若者の一人に過ぎなかったはずの、この世のスーパー・アスリートでビッグ・スター。世界的なカリスマとしてのジャマイカ人、ウサイン・ボルトを頭の中で勝手に想像していて、それがどうしても、ジミ・ヘンドリクスを彷彿とさせるというか、その両者が二重写しになって重なるのだ。

だから私が最近になって、晴れた日と同じくらいには、曇りの日の光が好きになって来たのと同じように、フィルモアの空間をおそらく包んでいただろう空気のことも好きなのだ。それに、なんと言っても、いくら不調と言っても、そこはやはり「バンド・オブ・ジプシーズ」で、一九六九年の大晦日の夜のステージなのだから、やっぱりその日の夜もまた、奇跡だったのだ。幽霊は降りずに、思ってたのとは違うものが降りてきた。いや、何も降りてこなかったのかもしれない。でも、どうやらもしかしたら、べつに何も降りてこなくても、これから先も、ずっとそうだとしても、この地上にあるものだけでも、今後どうにかやっていけるのかもしれないぞ、それが今、この来るべき七十年代の幕開けに届いたメッセージなのかもしれないぞ、そんな、かすかな望みを感じることだけはできたのかもしれない、そんな大晦日の夜だったのではないかしら。フィルモアジミ・ヘンドリクスは、きっちりと仕事をした。それはよくわかってます。今の私なら、誰よりもわかる。