受信

夜になって、中村佳穂のライブ配信を視聴する。三曲ばかりの短い時間だったが、とても良かった。音楽や文学や美術など、芸術をやる人々の生の声や言葉は、昔と比べたらSNSなどでずいぶん身近に聞くことができるようになったし、耳に届きやすくなったと思うが、それとこれとはおそらく無関係に、なにしろすぐれた音楽家が今も昔も変わらないのは、彼ら彼女らは、いったん演奏をはじめたら、おそらく何をされてもよほどのことがない限りその音楽を止めないだろうということで、今日見た演奏もまさに、そんな気概を感じさせるものだったと思う。なにも力瘤が見えるような力んだ演奏だったと言いたいわけではなくて、むしろその逆で、柔らかく親しみに満ちていてリラックスした時間なのだが、だからこそそれが、それゆえに強靭だと感じられた。極端な話、今こうして僕が視聴している音と映像が、僕の端末だけ突然ぶつっと途切れてしまったとしても、それは別段大した問題ではなくて、たぶん今どこかで、こういう演奏が行われていて、この満ち足りた感じを、どこかで無数の誰かが聴いている、それだけでほぼ勝利だと思えた。芸術家の人々は鋭敏なアンテナで現在を感受し、今自分が何をすべきかを常に模索しており、受け手も同じように自らを鋭敏で好感度なよき受信板であろうとして常に努力しており緊張している。状況を憂う思いもあるが、まずは自らをきちんと保全しセットアップする、それを怠ると、いざというときに作品をきちんと迎え入れることができない、それをお互いに確認し合って、一瞬見失いそうになったものを思い出す、このような演奏の場が、双方にとってそういう場所になる。