雪pt.4


一階のエントランスから非常扉を開けてビルの外に出たら、なんと雪だった。はげしく降っている。思わず、声には出さず「えーーーー??」と言ってしまった。…ぷらぷらと夜の散歩で新御茶ノ水くらいまで歩いてそこから千代田線で帰ろうと思ったのに、そんなのはもう全然あきらめるしかない状況だった。しかし今日はたまたま上手く事が運んでいつもより一時間以上早く退社できたので、このまま帰るのは悔しいので、コンビニでビニール傘を買って、雪の中それを挿して散歩決行しようかとも思ったのだが、並んでいる傘をみたら500円とかそのくらいして、微妙に高いと思ってやめた(笑)。結局、大人しく普通のルートで帰宅。


この世にはまったく予測がつかない出来事とかはいっぱいあるだろうが、ある程度予想がつく事も多い。とくに現代の世の中は、事前にある程度予想がつくというのは、その真贋はともかく、もっともらしい理屈とセットになった予測という格好になっていれば、それは何がしかの価値あるものとみなされるので、僕も普段はそういうものだと思っているし、だから要するに「天候」というものも、もはやほぼ事前に予測できるだろうと、無意識に考えているところがあるのかもしれなくて、だから今日みたいに、不意打ちのようにいきなり雪が降ってる、みたいな事には、過剰に「えー!おかしくないか?」という反応になってしまうところがあるようで、それも何だか我ながら困ったものだと思った。


帰ってからNHKスペシャル無縁社会というのを見た。全体的にはとくに感想もなく面白くもなんともないものだったが、中盤に出てきたお婆さんはなかなか良かった。すごく綺麗な凛としたお婆さんで、一人が寂しい、とかあの世では一人は嫌、とか言うのだが、たぶんあのお婆さんは(僕の勝手な想像だが)今までの人生において事あるごとに絶対に好んで一人を選択して来たのだと思うし、その結果、今では過去を思い出して涙を流すこともあるのかもしれないし、何の変哲も無いヌイグルミを大事にビニールで包装して可愛がったりもしてしまうし(婆さんってなんでこういうことしたがるのか?いわゆる「ちまちましたもの」をなぜか大事にしてずっと持ってるというやつ。「人型」のもっとも単純なものをお守りみたいに肌身離さず持ってたりするやつ。…あまりにも貧相でみみっちいのだが、しかしこういうのを見せられて胸の奥が熱くならない人はいないだろう…)、死んだら誰にも気づいてもらえないかもしれない重苦しい不安と共にいるのだろうし、たしかに寂しいのかもしれないけど、でも、逆にそうではないいわゆる「寂しくないし、不安じゃない」という、云ってみれば只それだけの、この世の中にいっぱいいるその他大勢の人々とは、較べようも無いほどうつくしく凛としたたたずまいで存在しているように感じられた。この世界にはああいう綺麗な人が居るのだと知るだけで、何か希望的なものさえ感じてしまうように思った。