N氏


7、8年ぶりに、Nさんから連絡があったのだが、Nさんとは、僕が20歳半ばくらいの時なので、今から15年ほど前に知り合って、それから、色々とお世話になった人で、自分が20代だったときの、かなりの時間を一緒に過ごしてきた人で、しかし1997年以降はNさんが新たな仕事を始めたりしてあまり会う機会も少なくなり、僕が今の会社に就職してからはほとんどご無沙汰状態だったのだが、先日ふいにメールが来て、久しぶりですねえとかこちらは相変わらずです、とかいうやり取りをして、昨日ひさしぶりに会った。Nさんの年齢は僕よりも一回り年上で、15年前の、僕が20歳過ぎの頃であれば、Nさんは30代半ばだった訳だが、今現在においては、僕は38歳、Nさんは50歳という事になってしまっていて、…これは本当に、驚くべきことだと思うしかない。しかし久しぶりに顔を見合わせて、思わず、全然変わってないねーと互いに口にしてしまった。久しぶりの相手の姿は予想よりも、全然今までどおりであった。。その後、トンカツ屋とか温泉とか小料理屋とかに移動しながら、昼過ぎから夜にかけて、延々と、ダラダラと色々と喋りながら、Nさんは酒を飲まないので僕だけはダラダラと飲み続けながら、何時間も過ごして、そうやって喋っていると、まったく15年前の感覚とかわらない感じに思えて不思議であった。奥さんや娘さんにも久々にお会いした。奥さんも昔の印象とまったく変わっていなかった。娘さんだけは、17歳になっていて、以前に会ったときは小学生だったので、娘さんだけが「大きな変化」を感じさせるのだが、逆に娘さん以外のすべてが、ほとんど大した変化はないかのように思えたのであった。10年とかなんて、そんな大した時間じゃないんですかねー?と言ったら、Nさんは、大した時間じゃないとも云えるし、でもやっぱり大した時間だとも思うよ、と言った。


ダラダラと果てなくお喋りして、げらげらと爆笑して、またダラダラと別の話をして…という感じで何時間も時間を過ごしている感じ自体が、まさに僕の十数年前なのだという事を思い出した。ほんとうに、こうやっていつまでもひたすら、停滞した時間の中で、ひたすら喋ったりぼーっとしたりタバコを吸ったりレコードを聴いたりしながら、何年も過ごしていたなあという事を思い出していた。


Nさんのすごいと思えるところは、このやたらと有り余るどうしようもないような時間の堆積を、昔も今もマトモに受け止めているような感じがするところであろう。普通、世間一般の人間というのは、僕も含めて、絶対にそのような時間の堆積というものに耐えられないのだ。それに耐えられなくて、間がもたなくて、手持ち無沙汰がつらくて仕方が無いので、仕方が無く、社会の情勢とか、仕事の難しさだとか、人間関係のあやだとか、そういうものに関わって、拘泥して、色々と何か気苦労や何かもしつつ、何とか自分と時間というもの本来の取り留めの無さみたいなものを、やり過ごして行くのだ。


失礼ながら、Nさんの話のおどろくべき内容の無さというか、意味の無さというのは、掛け値なしに賞賛に値すると思う。死ぬほど笑うことは笑うのだが、しかしそこに読み取るべき意味が見事に欠落していて、あらためてびっくりしてしまう。…まるで貶しているような言い方に受け取られるかもしれないが、まったくそんな事はなくて、中途半端な意味にばかり囲まれている毎日だと、たまにNさんの話のような、意味みたいなものを根本的に欠落させることが出来ているというだけで、本当に貴重な事に思えてしまうものなのだ。


まあ、元々すべてをそのようなものと認識している(に違いない…というか認識とかいうもの自体と無縁な)Nさんからしたら、ここで書いてあることの意味はよくわからないかもしれないが、僕から見たらかなり貴重なタイプの人だと思いますよ、という事はたしかだ。毎日ただひたすら、ぼーっと今日は何をしようか考えながら、ずーっとぼんやりしているというだけで、これは本当にとてつもなくものすごい事なんですよ!と申し上げたい。いやマジで、世間の「普通な人」というのは、そういう状況におかれたら、正気を保っていられなくなったりもするのだから!(おそらく僕もそうだ。)


世の中にはいわゆる「リッチ」な人というのがいて、僕の周囲に居る人でもっとも「リッチ」な人というのはNさんなのだが、それは単純に経済力の事だけではなくて、とてつもない時間の堆積をそのまま丸ごとかかえている、かかえることができている時点において「リッチ」な人だと思う。単にお金の所持額だけなら、Nさんより沢山お金をもってる人は山ほど居るだろうが、大抵のお金持ちは死ぬほど働いているか、資本主義的な世界における自分の立ち居地というか振舞いのセオリーを常に意識していると思われるが、そのような比較においてNさんの「ただただひたすら呆然と時間をやり過ごしてる」感は、ほんとうに瞠目すべきものすごさだと思う。


すごく沢山ご馳走になったからといって、いくらなんでも褒めすぎかもしれないが…。